福音書のはじめの方に登場する洗礼者ヨハネの記述を追っていきます。ヨハネはイエスの到来を預言してイエスを洗礼した人物とされています。フランス語ではジャン — Jean、英語ではジョン — John、ドイツ語ではヨハン — Johann、イタリア語ではジョヴァンニ — Giovanni などと呼ばれています。
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Ἐν δὲ ταῖς ἡμέραις ἐκείναις παραγίνεται Ἰωάννης ὁ βαπτιστὴς κηρύσσων ἐν τῇ ἐρήμῳ τῆς Ἰουδαίας (Mt 3:1)
In diebus autem illis venit Iohannes Baptista praedicans in deserto Iudaeae
そして、ある頃に洗礼者ヨハネが現れる、ユダヤの荒野で説教をしながら
βαπτιστής は「洗礼者」と訳されますがこれはβαπτίζω 「洗礼する」という動詞に由来しています。さらにこの動詞はβάπτω「(液体などに)浸す」に由来しているので「洗礼者」とは「浸すことによってことを成し遂げる者」というような意味になります。
ἐν + 与格で場所や時間を表します。ἐν ταῖς ἡμέραις ἐκείναιςは「その以前に述べたものとは別の日々において」という意味で、ラテン語のin diebus illiisに相当します。ラテン語の場合はin + 奪格です。ἐκείναιςはἐκεῖνοςの与格複数で「前に挙げたものとは別の」という意味をもたせます。ちなみに「前に挙げたものと同じ」場合はοὗτος を使います。
ἐν τῇ ἐρήμῳ 「荒野において」ともう一箇所 ἐνが出てきますがこちらは場所を指します。ἐρήμῳはἐρημία の与格単数で「寂しい場所」、「荒野」、「砂漠」などの意味です。
動詞παραγίνεταιについてですがこの時制は現在です。ラテン語のvenitはeが長いか短いかで時制が変わります。vēnitのように長い場合は時制が完了となり「やってきた」、vĕnitのように短い場合は現在で「やってくる」となります。ラテン語では通常アルファベットに記号はつけないのでこの見分けは付きません。この動詞にはフランス語LSでは単純過去parutが、英語KJVでは過去cameが当てられていてラテン語を軸として現在から過去へと時制が変わっています。過去に起こった事実を述べるのであれば過去時制で問題ないとは思いますが、著者は眼前に起こっていることのように述べたかったのではないかと思われます。
κηρύσσων はκηρύσσωの現在分詞です。もともとは「主張する」という意味ですが聖書では「説教する」の意味に取られています。現在分詞は定動詞(ここではπαραγίνεται)と同時に起こっている扱いになり、形容詞のような働きをします。ここではἸωάννηςに掛かるので「ユダヤの荒野で説教をしている洗礼者ヨハネ」と解釈できます。ラテン語のpraedicansも現在分詞です。
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