天使ガブリエルの話に対してマリアはどのような反応をするのでしょうか?
By Paolo de Matteis – Saint Louis Art Museum official site, Public Domain, Link
ἡ δὲ ἐπὶ τῷ λόγῳ διεταράχθη καὶ διελογίζετο ποταπὸς εἴη ὁ ἀσπασμὸς οὗτος. (Lc 1:29)
Ipsa autem turbata est in sermone eius et cogitabat qualis esset ista salutatio.
ところが彼女はその話に混乱した、そしてしきりに考えた、これは一体どこの国の挨拶なのかと。
ἧは関係代名詞の主格女性単数ですが日本語訳では前の文と切り離して「そしてその彼女は」と始めるのが自然になります。ラテン語の場合はipsa「彼女自身」「その彼女」が主語になっています。ギリシア語ではδέ、ラテン語ではautemがあるので前の文とは話の流れが変わっていることに注目します。
διεταράχθηは διαταράσσω「混乱させる」のアオリスト受動態で、混乱の原因は ἐπί + 与格で表現されます。λόγῳはλόγοςの与格単数でここでは「天使ガブリエルの話」を指します。
ラテン語の場合は ipsa turbata est「彼女は混乱した」となり、その原因についてはin + 奪格、ここでは sermone eius「彼の語り」です。ちなみにこのipsaの代わりに quae cum vidisset「そして彼女は(それを)見たために」と書かれている版もありました。
καί の後に来る動詞はδιελογίζετοでδιαλογίζομαιの未完了で「熟考していた」の意味になります。この動詞はδια「通して」とλογίζομαι「数える」の複合語で「熟考する」の他に「貸借の残高をあわせる」という実務的な用法もあります。
ποταπόςはποδαπός とも書かれ「どこの国の?」転じて「どの類の?」という意味の疑問形容詞です。あまり使われない単語ですが -δαπόςの部分は「国」の意味らしく、ἀλλοδαπός 「外国の」やπαντοδαπός「すべての国の」 などの単語で見られます。前半のπο-の部分はποῦ「どこ?」やπότε「いつ?」と同じように疑問を表す接頭辞と考えられます。
このποταπόςはδιελογίζετοの目的語になるので「どこの国の〜なのか熟考していた」というような間接疑問文になります。ἀσπασμόςは「挨拶」でεἴηはεἰμίの希求法現在で疑問や仮定の中でよく出てきます。ποταπὸς εἴη ὁ ἀσπασμὸς οὗτοςで「この挨拶はどこの国のものなのか」「これはどこの国の挨拶なのか」という意味になります。
彼女が抱いたこの疑問は天使が現れた反応としては素頓狂に思えますが、一方では非日常のものを許容する深い抱擁力があるともいえます。