来訪の意図がわからず困惑しているマリアに天使ガブリエルは続けて言います。
By Caravaggio – scan, Public Domain, Link
Καὶ εἶπεν ὁ ἄγγελος αὐτῇ, Μὴ φοβοῦ, Μαριάμ, εὗρες γὰρ χάριν παρὰ τῷ θεῷ. (Lc 1:30)
Et ait angelus ei: « Ne timeas, Maria; invenisti enim gratiam apud Deum.
そして天使は彼女に言った、「恐れるな、マリアよ、なぜならあなたは神のうちにその恵みを見つけたのだから。
εἶπενはアオリスト時制で「言った」、主語は ὁ ἄγγελος「天使」、言った相手は与格の αὐτῇ「彼女に」です。この部分はそれほど難しくないでしょう。ラテン語 ait angelus eiも同様です。
φοβοῦはφοβέω「恐れる」の命令で、否定辞μήと一緒に「恐れるな」という意味になります。一方ラテン語訳は ne timeasとありneは接続詞「〜しないように」とtimeasはtimeo接続法現在が続き「恐れることのないように」という願望あるいは湾曲された命令を表しています。ラテン語の方がギリシア語より柔らかい表現になっています。
εὗρεςはεὑρίσκωのアオリスト時制で「見つけた」の意味です。ラテン語のinvenistiは完了時制です。
見つけたものはχάρις「神の恵み」の対格 χάρινになります。このχάριςは2節前でマリアの呼びかけに使われたκεχαριτωμένη「神の恵みの表されたものよ」の動詞 χαριτόω「神の恵みを表す」と同じ由来の言葉になります。もともとχάριςは「人に喜びを与える優雅さ」を意味していました。辞書で調べるとこの単語には多くの説明がありギリシア文明で重要な言葉であったことが伺えます。福音書の文脈では「神の恵み」となります。παρά + 与格で「〜のそばに」「〜のいる場所で」の意味になります。ラテン語のapud + 対格も似たような意味で「〜のうちに」「〜の近くで」となります。
天使はマリアが「神の恵みを表している」「神の恵みを見つけた」といいますがマリアが混乱しているところを見ると彼女自身はそのことを自覚していないようです。天使の語りはまだ続くので鍵括弧は閉じません。