マリアは天使ガブリエルから神の恵みにより息子を授かることを告げられます。ここではその息子がどのような人物になるのかが語られます。
By Orazio Gentileschi – Web Gallery of Art: Image Info about artwork, Public Domain, Link
οὗτος ἔσται μέγας καὶ υἱὸς ὑψίστου κληθήσεται, καὶ δώσει αὐτῷ κύριος ὁ θεὸς τὸν θρόνον Δαυὶδ τοῦ πατρὸς αὐτοῦ,(Lc 1:32)
Hic erit magnus et Filius Altissimi vocabitur, et dabit illi Dominus Deus sedem David patris eius,
彼は偉大な人物となり最も高き者の息子と呼ばれるだろう、そして主である神は彼にその父であるダヴィデの座を与えるだろう。
οὗτος ἔσταιは未来形で「彼は〜であるだろう」の意味になります。μέγας「大きい」は形容詞ですが実体化して「偉大な人物」の意味になります。ラテン語の hic erit magnus も同じ構造です。
κληθήσεταιは καλέω「呼ぶ」の未来受動で「彼は呼ばれるだろう」の意味になります。補語は主語と同じ主格となりυἱός「息子」で誰の息子かは形容詞 ὕψιστος「最も高い」の属格 ὑψίστουだと示されます。ὕψιστοςは最上級ですが原級は形容詞でなく副詞でὕψι「高いところで」です。ラテン語の Filius Altissimi vocabiturもほぼ直訳です。
δώσειはδίδωμι「与える」の未来形で与える相手は与格 αὐτῷ「彼に」です。ラテン語dabit illi も同じ構造です。主語句は κύριος ὁ θεὸςですがこの場合定冠詞の付いている単語θεὸς「神」が主語でκύριος「主人」はその属性を表し、κύριος ὁ θεὸςは「主人である神」という訳し方ができます。与えるものはθρόνος「椅子」「玉座」の対格 θρόνονです。さらにその持ち主は属格 Δαυὶδ τοῦ πατρὸς「父ダヴィデの」です。ユダヤ人の名前は一般に格変化しないものがあります。ここで言うπατήρは直接の父ではなく父方の血筋の意味です。πατήρ「父」の属格πατρὸςにはさらに属格でαὐτοῦ「彼の」と説明があります。
ダヴィデはユダヤの王であったのでθρόνοςは「玉座」のことでしょうし、さらに転じて「王座」「王位」を指しているとも考えられます。一方でラテン語のsedem、主格でいうsedesには「椅子」以上の意味はありません。sedesは動詞sedeo「座る」に由来しています。ちなみにフランス語LSでは le trône de David, son père、英語KJVでは the throne of his father Davidとあり両方とも「玉座」を強調しています。
前節から引き続きこれも天使ガブリエルのマリアへの告知の内容で、一貫して未来形で語られています。この告知は次の節まで続きます。台詞の鍵括弧はまだ開いたままです。