受胎告知(9)マリアの疑問


天使ガブリエルのメッセージを聞いたマリアはその内容に疑問をいだきます。それは普通の女性であれば当然浮かぶ疑問です。
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By Dante Gabriel Rossetti – Dante Gabriel Rossetti, Public Domain, Link

εἶπεν δὲ Μαριὰμ πρὸς τὸν ἄγγελον, Πῶς ἔσται τοῦτο, ἐπεὶ ἄνδρα οὐ γινώσκω; (Lc 1:34)

Dixit autem Maria ad angelum: « quomodo fiet istud, quoniam virum non cognosco? »

しかしマリアは天使に言った、「どのようにしてそれは起こりえるのでしょうか、なぜなら私は男の人を知らないのに?」

δέは前の文と異なる主張が出てくるときに使われる小辞です、通常「しかし」「ところが」で訳します。εἶπενはアオリスト時制で「言った」です。言った相手はπρός + 対格でここでは「天使に対して」です。ラテン語のdixitは完了形で、dixit maria ad angelum「マリアは天使に対して言った」はギリシア語文と同じ構造です。

後半はマリアの言葉です。πῶςは「どのようにして?」という疑問副詞です。ラテン語でも同等の単語 quomodoが使われています。このquomodoはquis「何の?」とmodus「作法」の複合語が奪格化したものでもともとは「何の作法において?」という意味でした。

ἔσταιはεἰμίの未来中動態です。εἰμίは能動態では「〜である」「存在する」ですが中動態では「発生する」の意味になります。現代の文法で中動態は存在しないのですが、動作の主体と対象が同じという意味で近いのがフランス語の再帰動詞です。フランス語の動詞 se faireや se produireなどはこのあたりの雰囲気に近いと思われます。

これに対応するラテン語のfietは別の意味で複雑です。facio「する」「作る」という動詞の受動態はfioですが、このfioは別な動詞「発生する」「成る」の能動態でもあります。この2つの動詞は変化形のすべて揃っていない欠格動詞(déponent)ですが互いに補充(supplétion)の関係にあり不足している変化形を補っています。fietは facioの未来受動態でもあり、同時に fioの未来能動態でもあります。それぞれ「されるであろう」、「発生するであろう」という意味になります。

ἐπείは理由を示す接続詞「なぜなら」の意味で、彼女が「受胎は起こりえない」と主張する理由が示されます。動詞 γιγνώσκωは一人称単数現在で「知っている」の意味ですが、他に「認識する」の意味もあります。ラテン語のcognoscoも同じように二種類の意味があります。フランス語LSでは je ne connais point d’hommeとあり、英語KJVでは I know not a manとあるのでともに前者の意味です。

ここでは「性交渉がなければ子供はできない」という、結婚適齢期の女性であれば普通に持っている常識が試されていることになります。

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