衝撃的な事実を告げた天使の回答の最後の箇所です。
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ὅτι οὐκ ἀδυνατήσει παρὰ τοῦ θεοῦ πᾶν ῥῆμα. (Lc 1:37)
quia non erit impossibile apud Deum omne verbum ».
なぜなら神のそばではすべての言葉は不可能とはなりえないからだ。」
ὅτιは理由を述べる接続詞で「なぜなら」、動詞 ἀδυνατήσειは ἀδυνατέω「能力がない」「不可能である」の未来形です。ἀδυνατέωはδυνατέω「能力のある」「可能である」に否定の接頭辞ἀ-がついたものです。さらに否定の副詞 οὐκがついているので二重否定になります。二重否定は一般に強い肯定を表現するときに使われます。
ラテン語でも impossibile「不可能な」は possiblile「可能な」に否定の接頭辞 in-がついたもので更にnonで二重否定になっています。imposibileは形容詞で主語verbumに合わせ主格中性単数です。eritは動詞 sumの未来形で、non erit impossibile 「不可能とはならないだろう」となります。
παρά + 属格は「〜のそばで」「〜の側で」の意味になります。παρὰ τοῦ θεοῦで「神のそばで」となります。
主語はῥῆμα「語られる言葉」です。「神のそばの言葉」というとヨハネによる福音書を思い出しますがこちらはλόγος という別な単語が使われています。ラテン語では同じverbumです。
ῥῆμαはさらに「行動」や「ものごと」の意味があります。フランス語LSや英語KJVには「言葉」についての言及はありません。
Car rien n’est impossible à Dieu.
For with God nothing shall be impossible.
rienやnothingは「ものごと」に近い訳だと思われます。ただラテン語verbumには「言葉」以外の特別な意味はありません。
未来形の日本語の訳は一般に「〜だろう」を使いますが、ここでは未来というよりは原因「言葉」に対する結果、あるいは可能性を表現しているので「〜なりえる」という言い方を使います。ちなみにLSは未来形のでなく現在形です。