フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』でのイエスの記述の続きです。
By Brother Maciej and Master of the Lady with Unicorn – Andrzej Kłossowski (1990). Biblioteka Narodowa w Warszawie: zbiory i działalność. Biblioteka Narodowa. ISBN 83-70090-44-3, Public Domain, Link
καὶ πολλοὺς μὲν Ἰουδαίους, πολλοὺς δὲ καὶ τοῦ Ἑλληνικοῦ ἐπηγάγετο· ὁ χριστὸς οὗτος ἦν. καὶ αὐτὸν ἐνδείξει τῶν πρώτων ἀνδρῶν παρ᾽ ἡμῖν σταυρῷ ἐπιτετιμηκότος Πιλάτου οὐκ ἐπαύσαντο οἱ τὸ πρῶτον ἀγαπήσαντες· (Ιουδαϊκή αρχαιολογία 18:63-64)
そして一方で多くのユダヤ人を、他方でギリシア人の多くの人々を自身のところに招き寄せた。彼は油を塗られた者であった。そして我々の主たる人々の磔刑への主張にピラートゥスが重きを置いた後でも、以前から彼を慕っていた人々は離れることはなかった。
ἐπηγάγετοはἐπάγω「導く」のアオリスト中動態です。中動態のときには「自身のところへ招き寄せる」という意味になります。
Ἰουδαίους「ユダヤ人」はπολλοὺς「多い」と同様に対格複数ですがἙλληνικοῦ「ギリシアの」は属格ですので πολλοὺς Ἰουδαίους「多くのユダヤ人」と πολλοὺς τοῦ Ἑλληνικοῦ「ギリシアの多くの人」という訳になります。
χριστὸςは「油を塗られた男」の意味ですがヘブライ語のמשיח (mashiach)の訳語だとされています。
καὶ αὐτὸνの次に絶対属格の構文がありまず状況の説明から入ります。 ἐπιτετιμηκότοςは ἐπιτιμάω「重きを置く」の完了分詞、Πιλάτου「ピラートゥス」は主語で両方共属格男性単数になっています。重きを置いたものは与格で示され、ここではἐνδείξει、ἔνδειξις「指示」「主張」の与格です。誰の主張かというとτῶν πρώτων ἀνδρῶν「主だった人々」でさらにπαρ᾽ ἡμῖν「私達においての」とあります。フラウィウス・ヨセフスはユダヤ人なので「ユダヤ人の主だった人々の主張にピラートゥスは重きをおいた」ことになります。その主張とは σταυρός「柱」の与格 σταυρῷで示される通り磔刑です。
絶対属格の後の主節が来ます。主語はοἱ ἀγαπήσαντες「慕っていた人々」でもともと動詞 ἀγαπάω「慕う」のアオリスト分詞です。τὸ πρῶτονは副詞的に「以前から」という意味で訳せます。動詞はἐπαύσαντοでπαύω「やめる」のアオリストでοὐκで打ち消されているので「やめることはなかった」となります。