ユダヤ古代誌の語るイエス(3)


フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』でのイエスの記述の最後の部分です。

Flavius Josephus edition of 1552.jpgPar User:AndreasPraefcke — Flavius Josephus: Jüdische Chronic. Von großmechtiger erhöhung des Judenthumbs Königreich und Fürstenthumb. Frankfurt am Main, Chr. Egenolff, 1552. Early German translation of De bello Judaico (books 3–7)., Domaine public, Lien

ἐφάνη γὰρ αὐτοῖς τρίτην ἔχων ἡμέραν πάλιν ζῶν τῶν θείων προφητῶν ταῦτά τε καὶ ἄλλα μυρία περὶ αὐτοῦ θαυμάσια εἰρηκότων. εἰς ἔτι τε νῦν τῶν Χριστιανῶν ἀπὸ τοῦδε ὠνομασμένον οὐκ ἐπέλιπε τὸ φῦλον. (Ιουδαϊκή αρχαιολογία 18:64)

というのも彼は処刑後三日後に彼らの前に再び生きている姿を表したのである、これらの出来事と他の数え切れない彼についての素晴らしい事を神聖な預言者達は語っていた。今になってもなお、彼の呼ばれた名前に由来するクリスティアンたちの集団は離れ去ってはいない。

ἐφάνηはφαίνω「覆いを取り去る」のアオリスト受動態で、受動態のときには「姿を表す」の意味になります。αὐτοῖςは与格複数でこの前に語られた「イエスを慕っていた人々に」対してです。τρίτην ἡμέρανは時間を表す対格で「三日後」で、これに動詞 ἔχωの現在分詞の属格 ἔχωνが添えられています。 ἔχωは「持つ」を始めとしてたくさんの意味があるのですがおそらく「事件が起こる」という非人称の意味だと思います。もちろんその事件とはイエスの磔刑のことです。πάλινは副詞で「再び」、ζῶνはζάω「生きている」の現在分詞の主格です。

その後に絶対奪格構文を続きます。主語は θείων προφητῶν「神聖な預言者達」で動詞はἐρῶ「語る」の完了分詞 εἰρηκότωνです。語ったのはταῦτά「これらのこと」つまりイエスの磔刑と復活、と περὶ αὐτοῦ「彼について」の ἄλλα μυρία θαυμάσια「他の数え切れない素晴らしい事」です。

εἰς ἔτι τε νῦν「今においてもなお」と続き、属格 τῶν Χριστιανῶν「クリスティアンたちの」がついた主語 φῦλον「集団」と動詞 ἐπιλείπω「離れ去る」のアオリストἐπέλιπεと否定の οὐκで「今においてもなおクリスティアンたちの集団は離れ去っていない」となります。ἀπὸ + 対格で出処を表します。ὠνομασμένονはὀνομάζω「名前で呼ぶ」の完了分詞でτοῦδε「彼の」で修飾されています。ἀπὸ τοῦδε ὠνομασμένονは「彼の呼ばれた名前に由来し」と訳してよいでしょう。

ざっと読んだところフラウィウス・ヨセフスは福音書に記述されるであろう一番大事なポイントをよく抜粋して書かれています。これが当時公表され現存している最初期のイエスの記述になります。

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