洗礼者ヨハネはイエスが洗礼されるために来ることを知ります。
By Francesco Francia – The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH., Public Domain, Link
ὁ δὲ Ἰωάννης διεκώλυεν αὐτὸν λέγων, Ἐγὼ χρείαν ἔχω ὑπὸ σοῦ βαπτισθῆναι, καὶ σὺ ἔρχῃ πρός με; (Mt 3:14)
Iohannes autem prohibebat eum dicens: « Ego a te debeo baptizari et tu venis ad me? »
しかしヨハネは彼を引き止めた、このように言いながら「私の方があなたによって洗礼されることを必要としています、それでもあなたの方が私のところへ来るのですか?」
διεκώλυενは動詞διακωλύω「引き止める」「妨げる」の未完了です。
ἔχω χρείαν + 不定詞で「私は〜することを必要とする」という構文になります。ラテン語ではdebeo + 不定詞で「私は〜するべきである」となっています。この僅かな違いを除けばラテン語文はギリシア語文の直訳になっています。
βαπτισθῆναιはアオリストの受動不定詞なので ἔχω χρείαν βαπτισθῆναι で「洗礼されることを必要とする」となります。受動態の場合の動作主は前置詞 ὑπὸ「〜によって」で表され、ὑπὸ σοῦ「あなたによって」となります。
ἔρχῃは動詞 ἔρχομαι「来る」の二人称単数現在です。前置詞 πρός + 人で会いに来た相手を表現します。ここでは「私のところへ来る」となります。
ギリシア語では一人称と二人称の場合は動詞の人称変化から主語が推定されるので主語は一般的に省略されます。しかしここで ἐγὼ「私」、σὺ「あなた」のそれぞれの主語をあえて言うのは主語を強調しているからです。
ヨハネは前半で自分の認識を断定的に言いますが後半では疑問文になっています。ギリシア語の疑問符は ? の代わりに ; (セミコロン)を使います。接続詞 καίは通常は前と後ろの文を併置します。フランス語のet、英語のandに相当します。ここでは断定と疑問を接続しているので並置ではなく「このように私は断定するがそれでもこうなのか?」という表現が適切に思えます。
洗礼者ヨハネは以前にイエスが自分よりも強いことを公言していました。このためヨハネに洗礼されるためにわざわざ来たイエスを引き止め、むしろ洗礼する者とされる者が逆なのではないかと問います。