洗礼されるために来たイエスにヨハネは自分が洗礼する立場ではないと訴えます。しかしイエスはそれには同意しません。
By Tintoretto – The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH., Public Domain, Link
ἀποκριθεὶς δὲ ὁ Ἰησοῦς εἶπεν πρὸς αὐτόν, Ἄφες ἄρτι, οὕτως γὰρ πρέπον ἐστὶν ἡμῖν πληρῶσαι πᾶσαν δικαιοσύνην. τότε ἀφίησιν αὐτόν. (Mt 3:15)
Respondens autem Iesus dixit ei: « Sine modo, sic enim decet nos implere omnem iustitiam ». Tunc dimittit eum.
しかしイエスは答えて彼に言った:「いまはそのようにしなさい、というのもすべての正義を果たすことは私たちにとって適切なように見えるからです。」そしてヨハネは彼にそのようにする。
ἀποκριθείςはἀποκρίνωのアオリスト中動分詞です。ἀποκρίνωは「引き離す」という意味なのですが中動態のときには「答える」という意味になります。ギリシア語の動詞は中動態のときに特別な意味を持つことがあるので注意が必要です。
主節の動詞はεἶπονの三人称単数 εἶπεν「言った」です。この動詞はアオリスト時制しかありません。そのまま訳すと「答えたイエスは言った」となるのですが日本語的に調整が必要です。
ἄφεςはἀφίημι「放っておく」「そのままにする」のアオリストの命令形で、副詞ἄρτιは「今は」です。ラテン語のsineはsino「許す」「させる」の命令ですのでほぼ直訳になっています。
πληρῶσαι πᾶσαν δικαιοσύνηνは不定詞構文で「すべての正義を果たすこと」、ラテン語もimplere omnem iustitiamがそれに相当し直訳になっています。
動詞 ἐστὶν「である」に対してその補語 οὕτως πρέπον ἡμῖν「私達に対してはっきりと見えることのよう」が続きます。οὕτωςは日本語に訳しにくいのですが副詞「同じように」となったり、従属節をともなって「〜のように」ともなります。πρέπονは「はっきり見える」または「適切な状態に見える」という意味の動詞です。
δικαιοσύνηνはδικαιοσύνηの対格で「正しいと思う気持ち」「正しい行い」を意味します。
ἀφίησιν「そのままにする」はイエスの命令にあった ἄφεςと同じ動詞です。ラテン語では命令に使われたsineとは違う動詞dimitto「離して送る」の三人称単数現在dimittitが使われています。いくつか他のテキストを見たところ現在形 dimittitの代わりにdimisitが使われている版がありこちらは完了形になっています。
ここでのやり取りはイエスがヨハネよりἰσχυρότερός「強い者」 (Mt 3:11) であるとしてもこの時代の慣習に従うようにしたと理解できます。