洗礼者ヨハネ(10)イエスの洗礼4


最初はイエスを洗礼することに本意でなかったヨハネもイエスに諭されて気を取り直します。そして無事にイエスが洗礼されるとあるイベントが発生します。
El bautismo de Cristo (El Greco, 1597).jpg
By El Greco[2], Public Domain, Link

βαπτισθεὶς δὲ ὁ Ἰησοῦς εὐθὺς ἀνέβη ἀπὸ τοῦ ὕδατος· καὶ ἰδοὺ ἠνεῴχθησαν αὐτῷ οἱ οὐρανοί, καὶ εἶδεν τὸ πνεῦμα τοῦ θεοῦ καταβαῖνον ὡσεὶ περιστερὰν καὶ ἐρχόμενον ἐπ’ αὐτόν· (Mt 3:16)

Baptizatus autem Iesus, confestim ascendit de aqua; et ecce aperti sunt ei caeli, et vidit Spiritum Dei descendentem sicut columbam et venientem super se.

さて洗礼されたイエスがすぐに水から上がった;すると見なさい、天が彼に向かって開かれた、そして彼は神の聖霊が鳩のように降りてくるのを、そして彼の上にやってくるのを見た。

βαπτισθείςは動詞βαπτίζω「洗礼する」のアオリスト受動分詞でἸησοῦς「イエス」にかかるので「洗礼されたイエス」となります。ラテン語にはアオリスト時制はないので完了受動分詞 baptizatusが使われていますがほぼ直訳です。同様にἀνέβηはἀναβαίνω「向かってくる」「登る」のアオリスト、ascenditはascendo「登る」の現在と完了の両方の可能性がありますが文意から完了と考えてよいでしょう。一般にギリシア語のアオリスト時制はラテン語では完了時制に対応されます。ギリシア語にも完了時制はあるのですがアオリスト時制の頻度の方が高いように思います。

ἰδούは読者にこの後におこることに対しての注意をうながす副詞または間投詞で、もとは動詞 εἶδον「見る」「知覚する」のアオリストの命令と考えられます。ラテン語ではecce、フランス語ではvoici、英語ではloやbeholdなどの訳が与えられています。ἠνεῴχθησανはἀνοίγνυμιまたはἀνοίγω「開く」のアオリスト受動態です。主語 οἱ οὐρανοίは複数形で「天」を意味します。このことは(Mt 3:2)で出てきたἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν「天の王国」の「天」も同様でした。

ラテン語のcaeli aperi suntも完了時制で同じ表現になっています。αὐτῷとラテン語のeiはともに与格で「彼つまりイエスに対して」という意味です。

εἶδενは先程のἰδούと同じεἶδονの変化で、アオリスト時制「彼は見た」となります。ラテン語viditは完了時制です。彼の見たものは対格 τὸ πνεῦμα τοῦ θεοῦ、Spiritum Dei「神の精霊」です。さらに対格の現在分詞 καταβαῖνον、descendentem「降りている」が続きます。その様子は副詞ὡσεί「あたかも〜のよう」、対格περιστεράν「鳩」で描写され、もう一つの現在分詞ἐρχόμενον「来ている」が続きます。これはἔρχομαι「来る」の変化形です。前置詞 ἐπί + 対格は「〜に向かって」「〜の上に」と方向を表します。ここまでに相当するラテン語文 vidit Spiritum Dei 「彼は神の聖霊を見た」descendentem sicut columbam「あたかも鳩のように降りている」 venientem super se「彼の上にやってくる」もほぼ直訳です。

洗礼者ヨハネがイエスに対して洗礼している上に鳩がいる構図の絵やレリーフ、ステンドグラスの作品は多く見られます。ぜひ探してみてください。

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