荒野で説教をする洗礼者ヨハネが話す内容とはどのようなものでしょうか?
By Mattia Preti – The AMICA Library, Public Domain, Link
καὶ λέγων, μετανοεῖτε, ἤγγικεν γὰρ ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν. (Mt 3:2)
et dicens: «Paenitentiam agite; adpropinquavit enim regnum caelorum».
そしてこう言いながら、「悔い改めなさい、というのも天の王国は近くに来たからだ」
λέγωνは現在分詞で前節のκηρύσσωνとκαίで並置されています。παραγίνεται Ἰωάννης ὁ βαπτιστὴς κηρύσσων καὶ λέγων「洗礼者ヨハネは現れる、説教しながらそして言いながら」というのが前節を含めた文の構成になります。前節の主節の動詞παραγίνεταιが現在形で現在分詞はこれと同時に起こっていることを考えるとヨハネの言葉は今目の前で言われていることのように臨場感を感じることができます。
μετανοεῖτεは二人称複数の命令で「あなた達は悔い改めなさい」という意味になります。このμετανοέωはμετα-「後ろ向きに」とνοέω「知覚する」の複合語で本来は「後悔する」という意味です。これに相当するラテン語ではpaenitentiam agiteのように目的語と二人称複数命令の動詞の2語で表現されていて「あなた達は悔い改めをしなさい」という表現になっています。
βασιλεία「王国」はβασιλεύς「王」に由来する言葉です。τῶν οὐρανῶνは属格複数「天空の」の意味で、ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶνで「天の王国」という意味になります。
οὐρανῶνの原型οὐρανός はもともとはΟὐρανός ウラノスというギリシア神話の天空の神と同じ単語です。注目するべきことはοὐρανῶνが複数であることです。ラテン語のcaelorumも同様に属格複数、フランス語LSではcieuxつまりcielの複数形である一方英語KJVはheavenと単数になっています。単数複数の文法が曖昧な日本語の場合「天」は英語のheavenに近いイメージにとれます。私達が「天の王国」と訳すときの「天」は本来複数形で表現されていることは覚えておいて損はないはずです。
マルコによる福音書ではこの言葉の代わりに一貫して「神の王国」ἡ βασιλεία τοῦ θεοῦ という表現になっています。ここの「神」は当然単数形で一般的には大文字から始まります。
ἤγγικενはἐγγίζω 「近くに来る」「近くに持ってくる」の完了形ですのでヨハネは「天の王国は近くに来ることを完了している」つまり「もう近くに来ている」ことを訴えています。ラテン語のadpropinquavitも同じく完了形です。このタイミングにおけるこの表現は「地上で誕生し終わっているもののまだ公に活動をしていないイエス」を暗示しているのはないでしょうか?
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