洗礼者ヨハネが自分のあとに来るイエスについて語るところです。
By Pieter Brueghel the Younger – Art Renewal Center – description, Public Domain, Link
Ἐγὼ μὲν ὑμᾶς βαπτίζω ἐν ὕδατι εἰς μετάνοιαν· ὁ δὲ ὀπίσω μου ἐρχόμενος ἰσχυρότερός μού ἐστιν, οὗ οὐκ εἰμὶ ἱκανὸς τὰ ὑποδήματα βαστάσαι· αὐτὸς ὑμᾶς βαπτίσει ἐν πνεύματι ἁγίῳ καὶ πυρί· (Mt 3:11)
Ego quidem vos baptizo in aqua in paenitentiam; qui autem post me venturus est, fortior me est, cuius non sum dignus calceamenta portare; ipse vos baptizabit in Spiritu Sancto et igni,
私はあなた達に悔い改めに至るように水に浸すことによって洗礼している; これに対して私の後に来る人は私よりも強い、私はその履物を手に取ることにさえ見合わない;その人はあなた達に精霊と火に浸すことによって洗礼することだろう、
この文の構成で大事なのはμένとδέの配置です。この組み合わせは「一方で…また他方で」の表現をするのに使われます。「私」ἐγὼにμένを置き「私の後に来る人」ὁ ὀπίσω μου ἐρχόμενος にδέ を置いて対比を作っています。ἐρχόμενοςはἔρχομαι「来る」の現在分詞男性単数で冠詞ὁと合わせて「来る人」の意味になります。ὀπίσωは「後に」「後ろに」を意味する副詞でμου「私の」がそれを修飾しています。
またβαπτίζω「私は洗礼する」一人称単数現在とβαπτίσει 「彼は洗礼するだろう」三人称単数未来と同じ動詞を並べています。βαπτίζωは「液体に浸す」意味があり、何に浸すのかについては前置詞 ἐν+与格が使われます。「私」の場合は ὕδατι「水」に浸し、「私の後に来る人」はπνεύματι ἁγίῳ καὶ πυρί「聖なる魂と火」に浸すとありこちらも対比がされています。
またὁ ὀπίσω μουについては更に ἰσχυρότερός μού ἐστιν 説明があります。ἰσχυρότερόςはἰσχῡρός「強い」の比較級で比べられるものは属格μού「私」です。ラテン語の場合、比較対象は奪格meです。続くοὗは関係代名詞で属格男性単数なので先行詞は同格同性同数のμούだとわかります。関係節はοὐκ εἰμὶ ἱκανὸς「私は十分でない」とあり、何が十分でないかは不定詞で説明されます。βαστάσαιはアオリストの不定詞で「持ち上げる」「手に持って運ぶ」、τὰ ὑποδήματαは履物のことで「一組の履物」を表すため対格複数になっています。
このあとでいよいよヨハネのところにイエスが現れます。
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