洗礼者ヨハネの登場とその言動が説明されたあとでイエスが現れます。洗礼者ヨハネについての最大のイベントが語られます。
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Τότε παραγίνεται ὁ Ἰησοῦς ἀπὸ τῆς Γαλιλαίας ἐπὶ τὸν Ἰορδάνην πρὸς τὸν Ἰωάννην τοῦ βαπτισθῆναι ὑπ’ αὐτοῦ. (Mt 3:13)
Tunc venit Iesus a Galilaea in Iordanem ad Iohannem ut baptizaretur ab eo.
そのころイエスはガリラヤからヨルダンのヨハネのところに現れる、彼によって洗礼されるために。
τότεは全般的に「そのころ」を意味していますがtuncはそれに加え「その後」という意味を持ちます。ギリシア語のπαραγίνεταιとラテン語のvenitの2つの動詞はともに洗礼者ヨハネの出現(マタイ3:1)に使われたものと全く同じです。παραγίνεταιは現在形ですがvenitは現在と完了が同形なため解釈に曖昧さが現れます。フランス語LSでは単純過去vintですが英語KJVでは現在形comethが使われています。
この動詞には3つの前置詞による説明があります。出発地を表すἀπό+属格地名、足を踏み入れる地名を表すἐπί+対格地名、面会する相手を表すπρός+対格人名です。ラテン語ではそれぞれ a+奪格地名、in+対格地名、ad+対格人名が相当します。日本語ではἐπί とπρός を並べて訳すと「ヨルダンの中に、ヨハネに向かって」となるので表現の操作は必要になるでしょう。
このギリシア語文のなかで解釈が難しいのは τοῦ βαπτισθῆναι ὑπ’ αὐτοῦの部分です。ὑπ’ αὐτοῦは「彼自身によって」、つまり直前に来ている「ヨハネ自身によって」、βαπτισθῆναιはアオリスト受動不定詞「洗礼されること」、それに定冠詞の属格単数τοῦがついています。アオリスト時制は通常は過去におこった事実を説明しますが不定詞の場合は時間的な意味は持たず「一度限りの動作」を意味することになります。
この不定詞の想定する主語はイエスでしょう。そしてこのτοῦ βαπτισθῆναιはἸωάννηνにかかっています。Ἰωάννην τοῦ βαπτισθῆναι ὑπ’ αὐτοῦを直訳すると「彼(ヨハネ)自身によって(イエスが)洗礼されることのヨハネ」と日本語ではほぼ理解不能の文章になってしまいます。
ラテン語の方はもっとわかりやすくut+動詞の接続法、ここでは動詞が受動なので「〜される目的をもって」「〜されるために」という構文になっています。よってut baptizaretur ab eoは「彼によって(イエスが)洗礼されるために」と訳せます。
ここから遡ってギリシア語の文を見るとτοῦは属格で属格は修飾する単語(ここではヨハネ)の性質を説明する箇所なので「イエスはヨハネにどのような用があるのか?」と質問したら「イエスはヨハネによって洗礼される用がある」と答えることになるでしょう。この観点から考えるとラテン語文は元のギリシア語文をわかりやすく解釈しているといえます。
この箇所については他の解釈もできそうなので思いついたら追記しようと思います。