神と言葉について語られた後で、その言葉について別な角度から記述が行われます。
洗礼者ヨハネ By Cristofano Allori – http://www.rz.uni-leipzig.de/ru/bilder/johannes/allorit1.htm, Public Domain, Link
Ἐγένετο ἄνθρωπος, ἀπεσταλμένος παρὰ θεοῦ, ὄνομα αὐτῷ Ἰωάννης· (Io 1:6)
Fuit homo missus a Deo, cui nomen erat Iohannes;
ある人がいた、神によって遣わされ、その名はヨハネといった。
ἐγένετοはγίγνομαι「〜ある」「成る」のアオリストでいわゆる昔話の「むかしあるところに〜がいた」のような語り口になります。主語はἄνθρωπος「人間」「人」「男」です。
この主語には分詞で修飾があります。ἀποστέλλω「送る」の完了受動分詞です。παρά + 属格でその動作主を表しθεός「神」の属格 θεοῦが続きます。
ὄνομα αὐτῷは名前を表現する構文で未完了の動詞 ἦν「〜であった」を補完して「彼に対する名は〜であった」という意味になります。Ἰωάννηςは主格で「ヨハネ」ですが「ヨーアンネース」またはαを有気音ἁに見立てて「ヨーハンネース」のような発音になります。
ギリシア語ではὄνομαの前に接続詞はなく、そのまま文が連結されていますが。ラテン語文ではαὐτῷ「彼に対する」に相当する箇所は関係代名詞の与格 cuiに置き換えられています。日本語で関係代名詞を語順を変えずに訳すのは不可能なので、cuiはet ei「そして彼に対する」と解釈しました。
ここに出てくるヨハネは福音記者ヨハネとは別の人物で、Ἰωάννης ὁ βαπτιστὴς「洗礼者ヨハネ」と呼ばれています。マタイによる福音書にもこの人物は語られています。以前これを記事として書いていますので参照してください。