洗礼者ヨハネの現れた意義が語られます。
By Juan de Juanes – Colección Joan J. Gavara (Valencia), Noulas, CC BY 3.0, Link
οὐκ ἦν ἐκεῖνος τὸ φῶς, ἀλλ’ ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός. (Io 1:8)
non erat ille lux sed ut testimonium perhiberet de lumine
その者は光ではなかったが、その光について証言をするために彼は来た、
ἦνはεἰμίの未完了で「〜であった」「〜がいた」の意味です。定冠詞のついている τὸ φῶς「光」を主語にしたいところですが、代名詞のἐκεῖνοςを主語にします。否定辞οὐκがあるのでοὐκ ἦν ἐκεῖνος τὸ φῶςは「その男は光ではなかった」と訳します。
否定のοὐκの後にἀλλά「しかし」が来ることによって肯定文が続くことがわかります。ラテン語ではnon…sed…の形がこれに相当します。その肯定文ですが ἵνα「〜となるように」「〜するために」の意味を持つ接続詞から始まる従属節のみです。前半の主節を繰り返して ἐκεῖνος ἦν ἵνα …「その者はいた、〜するために」の形と解釈してから訳します。ラテン語でも ille erat ut…のようにします。
もう一つの解釈としては前節をそのまま持ってくる方法です。前節では
οὗτος ἦλθεν εἰς μαρτυρίαν, ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός …
と、ἵνα以降がこの節のものと全く同じですので主節の動詞 ἦλθενを繰り返し、ἐκεῖνος ἦλθεν, ἵνα …「その者は来た、〜するために」と訳しても良いかもしれません。
従属節の動詞はμαρτυρέω「証言する」のアオリスト接続法 μαρτυρήσῃです。前節でも出たようにἵναで導かれる従属節では動詞は接続法になります。ラテン語のutはいくつか使い方があり、目的を表すときは動詞が接続法になります。utは他に「〜するときに」のような時間を表すときは直説法になるので注意が必要です。何について証言するかというと主題を表す前置詞περίと続く属格の τοῦ φωτόςで「光について」であることがわかります。
光とはイエスのことを指していると考えられます。その光について語るのが洗礼者ヨハネの役目だとここでは言われています。同じような内容がマタイによる福音書では本人の言葉で語られています。