ヨハネによるロゴス(8)真実の光


光について詳細な説明がされます。

Enniscorthy St. Aidan's Cathedral East Aisle Second Window Evangelist John Detail 2009 09 28.jpg
By Andreas F. Borchert, CC BY-SA 3.0 de, Link

Ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον. (Io 1:9)

Erat lux vera, quae inluminat omnem hominem, veniens in mundum.

それは真実の光、すべての人を照らし、この世界にやって来る光であった。

最初の主節は幾通りか解釈ができます。まず主語が省略されていると解釈する場合 τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν「真実の光」が補語になり「それは真実の光であった」となります。つぎに τὸ φῶς「その光」を主語として解釈する場合はτὸ ἀληθινόν「真実のもの」またはこれに φῶςを補ったτὸ φῶς ἀληθινόν「真実の光」が補語となり「その光は真実のものであった」、「その光は真実の光であった」と訳すことができます。またはτὸ φῶς τὸ ἀληθινόν全体を主語として考えると「真実の光が存在した」と訳すこともできます。ここでは最初の解釈で訳しました。

ὅは関係代名詞主格中性単数でφῶςに掛かります。ラテン語ではluxは女性名詞であるため関係代名詞quaeも主格女性単数になっています。関係節の動詞はφωτίζω「照らす」の現在形三人称単数で目的語は対格男性単数 πάντα ἄνθρωπον「すべての人間」です。

ἐρχόμενονはἔρχομαι「来る」の現在分詞主格中性単数でτὸ φῶςに掛かります。εἰς + 対格で動きの方向「〜の中へ」「〜に」を表現します。κόσμονはκόσμοςの対格で「順序」「秩序」の他に「世界」「現世」の意味も持ちます。日本語でもコスモスと音写されることもあります。日本語では分詞をその修飾する語の後に置くことができないため「この世界に来る真実の光」としか訳せないのですが、原文の語順を保持したいので再度「光であった」と書き加える必要があります。

ここまでラテン語文も同じ構成になっています。ただラテン語の他の版ではἐρχόμενονに対応する分詞がveniensではなくvenientemとなっているものがあるようです。これは上では主格中性単数として解釈した分詞 ἐρχόμενονを対格男性単数としてラテン語に訳したためです。この2つはギリシア語では同形のためラテン語訳としては文法上どちらも可です。そして後者の場合この分詞 venientemはhominem「人間」に掛かります。

解釈1 主格女性単数 veniens 女性名詞 lux に掛かる
解釈2 対格男性単数 venientem 男性名詞 hominem に掛かる

この解釈で訳すと以下のような訳になります。

それは真実の光、すべての人を照らす光であった、この世に来るすべての人を。

ただ、少し前で語られていたように

  • 言葉は神のそばにあった
  • 言葉は神であった
  • 言葉の中に生命があった
  • 生命は人々の光であった

という流れから考えると神のそばにあった「光」あるいは「命」「言葉」がイエスという肉の形をとって「世にやってくる」と解釈する方が自然であると思われますし、人々が世界に存在するのは自明であるのであえて説明する必要はありません。このことからバチカン版では主格女性単数 veniensとなっています。

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