言葉と人々との関係が述べられます。
16世紀のラテン語写本、ヨハネによる福音書の書き出し
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ὅσοι δὲ ἔλαβον αὐτόν, ἔδωκεν αὐτοῖς ἐξουσίαν τέκνα θεοῦ γενέσθαι, τοῖς πιστεύουσιν εἰς τὸ ὄνομα αὐτοῦ, (Io 1:12)
Quotquot autem acceperunt eum, dedit eis potestatem filios Dei fieri, his, qui credunt in nomine eius,
しかし言葉は、自身を受け入れたすべての人々に対して、神の子たちとなる力を与えた、自身の名前において信じる人々に対して、
まず接続詞δέ「しかし」を先に読み出します。ギリシア語では接続詞は二番目に来るのが一般的です。ラテン語のautemも同様です。
一番中心になるのは真ん中の ἔδωκεν αὐτοῖς ἐξουσίαν τέκνα θεοῦ γενέσθαιの部分です。主語はしばらく省略され続けていますがこの章に共通しているトピックである ὁ λόγος「言葉」です。動詞はδίδωμι「与える」のアオリストἔδωκεν、与える相手は与格αὐτοῖς「彼らに」、与えるものはἐξουσία「力」「権威」の対格 ἐξουσίανです。このἐξουσίανは補語として不定詞を取り、γίγνομαι「成る」のアオリスト不定詞 γενέσθαιがこれに当たります。成るものはτέκνον「子ども」の複数τέκναで属格θεοῦ「神の」がこれを修飾しています。ここまで ἐξουσίαν τέκνα θεοῦ γενέσθαιは「神の子どもたちとなる力」と読めます。
さてこのαὐτοῖς「彼らに」にを先行詞とした関係節があります。前半の ὅσοι ἔλαβον αὐτόνがそれに当たりますが関係節が先に来ているので先行詞というのも変かもしれません。関係詞 ὅσοιは主格男性複数で「〜と同じだけの〜」と通常訳されますが「すべての〜」と訳すと自然になります。関係節の動詞はλαμβάνω「掴む」「受け入れる」のアオリストἔλαβονで、その目的語は αὐτόν「(言葉)自身」です。αὐτοῖς ὅσοι ἔλαβον αὐτόνで「自身を受け入れたすべての人々に対して」と訳せます。
後半の τοῖς πιστεύουσινも与格男性複数です。πιστεύουσινはπιστεύω「信じる」「信頼を置く」の現在分詞です。定冠詞を伴うとτοῖς πιστεύουσινは「信じる人々」と読めます。εἰς τὸ ὄνομα αὐτοῦは「自身の名前の中に」という意味ですが日本語では一般にεἰς τὸ ὄνομαを「名において」と訳します。誰の名であるかは属格で表されます。この部分はラテン語ではhis, qui… と関係節を使って導かれています。 一般にギリシア語のほうが分詞を多様する傾向があります。