ヨハネは言葉についての証言をします。
By Mattia Preti – The AMICA Library, Public Domain, Link
Ἰωάννης μαρτυρεῖ περὶ αὐτοῦ καὶ κέκραγεν λέγων, Οὗτος ἦν ὃν εἶπον, Ὁ ὀπίσω μου ἐρχόμενος ἔμπροσθέν μου γέγονεν, ὅτι πρῶτός μου ἦν. (Io 1:15)
Iohannes testimonium perhibet de ipso et clamat dicens: « Hic erat, quem dixi: Qui post me venturus est, ante me factus est, quia prior me erat ».
ヨハネは言葉に彼について証言をする、そしてこのように叫びながら言った、「この人は私が話している人であった。私の後に来る彼は私の前に存在していた、なぜなら彼は私よりも先の人であったからだ。」
主語は Ἰωάννης「ヨハネ」です。これは福音書の著者のヨハネではなくこの章の6節に出てきた洗礼者ヨハネのことです。動詞はμαρτυρέω「証言をする」の三人称単数現在 μαρτυρεῖで証言をする内容は περί + 属格で表されます。ここでは属格男性単数の代名詞 αὐτοῦです。この代名詞は λόγος「言葉」を指していますが、実際には「肉体となった言葉」つまり「イエス」を指していると解釈できます。なので「それ」ではなく「彼」として訳すことにします。
κέκραγεν λέγωνは動詞と現在分詞の組み合わせで「言っている彼は叫んだ」というのが直訳ですが、2つの動作が同時に起こっていることを考慮して「彼は言いながら叫んだ」、「彼は叫びながら言った」などと言い換えても良いでしょう。
ここからはヨハネの台詞になります。最初の文の主語はοὗτος「この男」、動詞はἦν「〜であった」、主語に対する補語は関係節 ὃν εἶπον「私の話していた男」となります。
次の主語は分詞で ὁ ἐρχόμενος「来る男」で ὀπίσω μου「私の後に」という説明がされています。動詞はγίγνομαι「生まれる」「なる」「存在する」の完了γέγονενでこちらには ἔμπροσθέν μου「私の前に」という説明が付きます。
ラテン語文もおおよそ同じ構造になっています。
ὅτι「なぜなら」以下はその理由を述べるところです。 πρῶτόςは「最初の」「先の」の意味で属格 μουはその比較対象と解釈されます。πρῶτός μου ἦνは「私より先のものであった」と読みます。
彼の台詞のなかで印象的なのは属格の「私」μουが3回使われるところです。ラテン語でもmeが3回使われていますが最初の2つは前置詞の支配によって対格となったme、最後のものは比較級の比較対象としての奪格meとなっています。