ヨハネによるロゴス(15)律法に対する恵みと真実


神との古い契約との対比がここでされます。

Grandes Heures Anne de Bretagne Saint Jean.jpg
By Jean Bourdichon – Bibliothèque nationale de France, Public Domain, Link

ὅτι ὁ νόμος διὰ Μωϋσέως ἐδόθη, ἡ χάρις καὶ ἡ ἀλήθεια διὰ Ἰησοῦ Χριστοῦ ἐγένετο. (Io 1:17)

quia lex per Mosen data est, gratia et veritas per Iesum Christum facta est.

なぜなら律法はモーゼに通して与えられ、そして恵みと真実はイエスを通して現れたからだ。

2つ前の節から連続してὅτι「なぜなら」が出てきています。ὅτιはこれで3つ目ですがここのὅτιは前節で「私たちは恵みを受け取った」という記述の理由と解釈できます。前節のその記述がὅτι内にあるので、ὅτιで始まる前節の従属節の中にある従属節というのがこの節の位置付けになります。または複雑に考えずにγάρ「というのも」に近い並置の接続詞程度に解釈しても良いでしょう。このγάρはラテン語のenimに相当します。

ここでは2つの文が並置され対比されています。前者の主語は νόμοςで一般的には「習慣」「法」という意味ですがここでは「ユダヤの律法」を指しています。後者の主語はχάρις「神の恵み」とἀλήθεια「真実」です。

前者の動詞はδίδωμι「与える」のアオリスト受動態ἐδόθηで、後者の動詞はγίγνομαι「成る」「現れる」「生まれる」のアオリストἐγένετοです。主語は2つあるのに動詞 ἐγένετοは単数ですが、抽象的な名詞は複数あっても単数扱いに成ることがあります。ラテン語文でも同じようにfacta estと単数扱いになっています。

διά + 属格で「〜を通じて」「〜を通り抜けて」を意味しますが前者はΜωϋσῆς「モーゼ」の属格 Μωϋσέωςが続き、後者はἸησοῦς「イエス」の属格 Ἰησοῦが続きます。ラテン語ではper + 対格で同じ表現がされています。

2つの文の対比に注目します。前者の ἐδόθη「与えられた」で表現されるのは「律法」というものが形を変えずに人々に渡されたといった静的なイメージで解釈されうるのにたいして、後者の ἐγένετο「現れた」「生まれた」の方は人々の手に渡るときに初めて現実と成るような動的なイメージで解釈できます。以前に新しい契約と古い契約についての記述を読みましたがここでもこの2つは対比されています。

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