ヨハネによるロゴスについての語りの最後の部分になります。
By Szymon Czechowicz – www.ldm.lt, Public Domain, Link
Θεὸν οὐδεὶς ἑώρακεν πώποτε· μονογενὴς θεὸς ὁ ὢν εἰς τὸν κόλπον τοῦ πατρὸς ἐκεῖνος ἐξηγήσατο. (Io 1:18)
Deum nemo vidit umquam; unigenitus Deus, qui est in sinum Patris, ipse enarravit.
誰もいまだに神をみたことはない。その父の胸元にいる一人息子が神であり、彼自身が導いたのである。
最初の文の主語はοὐδείς「誰も〜ない」、動詞はὁράω「見る」の完了ἑώρακεν、目的語はθεός「神」の対格 θεόνです。πώποτεは副詞で「全く」「これまで」の意味を持ちます。
次の文は少し難解です。主格となる単語はμονογενής「一人息子」、θεός「神」、ἐκεῖνος「その男」、それにὁで始まる関係節 ὁ ὢν εἰς τὸν κόλπον τοῦ πατρὸς「父の胸元にいる(男)」です。動詞はἐξηγέομαι「導く」のアオリストἐξηγήσατοです。目的語はありませんが「世の人々を導いた」「世の人に明らかにした」という意味であると思われます。
人々は「神」を見たことはないが、「一人息子」である「神」を見たことになります。ということは最初のθεὸνと次のθεὸςは別なものになります。版によってはθεὸςの代わりにυἱός 「息子」になっているものもあります。ラテン語でも同様に Deusの代わりに Filiusとなっている版があります。属格 πατρὸς「父」がいわゆる「神」であることを考えるとυἱόςのほうが説明しやすいのは確かです。
フランス語LSではle Fils unique、英語KJVではthe only begotten Sonとありυἱόςに従った訳であることがわかります。ただ「一人息子が神 θεόςである」ことが論理的に破綻しているかというとそうとも言えません。それはこの節の最初の
καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος. (Io 1:1)
言葉は神であった。
にある通り、神から遣わされた言葉は神と同一のものであったという説明から明らかにされています。このあたりの解釈は父と子と聖霊の三位一体、フランス語でTrinité、英語でTrinityという考え方につながるものと思われます。
また対格 κόλπονは「母の乳房」の意味があり対応するラテン語の対格 sinum(版によっては奪格sinuのものもある)は「子宮」の意味があります。「一人息子」の居場所は「父の」と言うものの女性的な印象を否定することができません。