賢者たちは来訪の意図を明らかにします。
Par Rogier van der Weyden — Web Gallery of Art: Image Info about artwork, Domaine public, Lien
λέγοντες· ποῦ ἐστιν ὁ τεχθεὶς βασιλεὺς τῶν Ἰουδαίων; εἴδομεν γὰρ αὐτοῦ τὸν ἀστέρα ἐν τῇ ἀνατολῇ καὶ ἤλθομεν προσκυνῆσαι αὐτῷ. (Mt 2:2)
dicentes: « Ubi est, qui natus est, rex Iudaeorum? Vidimus enim stellam eius in oriente et venimus adorare eum ».
このように言いながら、「ユダヤの民の生まれたばかりの王はどこにいますか? というのも私たちは日の出の地で彼の星を見て彼に謁見するためにやって来たのです。」
λέγοντεςはλέγω「言う」の現在分詞の主格男性複数で前節の μάγοι「賢者たち」に掛かります。これ以降は賢者たちの言った内容になります。ラテン語dicentesも同様です。
ποῦは疑問副詞「どこ?」でこの文章を疑問文にしています。主語はβασιλεύς「王」で、 τίκτω「産む」のアオリスト受動分詞がこれを修飾しています。ὁ τεχθεὶς βασιλεὺςで「生まれた王」となるのですが日本語としては「生まれたばかりの王」と訳したほうが自然でしょう。これにἸουδαῖος「ユダヤ人」の属格複数 Ἰουδαίων「ユダヤ人たちの」で性格付けがされます。動詞は ἐστιν「〜がいる」で、セミコロン ;は疑問符「?」に相当します。
ラテン語ではτεχθεὶςに相当する表現は関係節 qui natus estで表現されている事以外はギリシア語文に忠実です。
次の文は接続詞 γάρ「実際のところ」「というのは」から訳します。動詞は2つあり一つ目はεἶδον「見る」のアオリスト一人称複数 εἴδομενです。この動詞は現在時制がないため辞書の見出しはアオリスト時制です。アオリスト時制は直説法の場合、過去の一度だけの動作を表すので εἴδομενは「私たちは見た」と過去形で訳します。見たものはἀστήρ「星」の対格 ἀστέραです。属格αὐτοῦ「彼の」は生まれたばかりの王を指します。ἐν + 与格で場所を表します。ここではἀνατολή「東」「日の出」の与格単数です。この単語は前節で複数形で出てきていました。
もう一つの動詞はἔρχομαι「来る」「行く」のアオリスト一人称複数 ἤλθομενです。προσκυνῆσαιはπροσκυνέω「(神や権力者に対して)ひれ伏す」「謁見する」のアオリスト不定詞で与格αὐτῷをともなって目的を表します。ἤλθομεν προσκυνῆσαι αὐτῷは「彼に謁見するために私たちは来た」と訳せます。この動詞 προσκυνέωはπρός「前に」とκυνέω「キスする」の複合語です。これに相当するラテン語の不定詞adorareは宗教的な文脈では「賛美する」「崇拝する」という意味になります。
読者にとってはこの王がイエスであることは明白ですが、やって来たばかりの賢者たちも尋ねられたイェルサレムの人々もそのことはまだ知りません。