ヘロデ王の賢者たちに対する行いの続きです。
By A. Laby, Butterworth & Heaths, Co. – Prince of Peace by Isabella Macdonald Alden, c. 1890, パブリック・ドメイン, Link
καὶ πέμψας αὐτοὺς εἰς Βηθλεὲμ εἶπεν, Πορευθέντες ἐξετάσατε ἀκριβῶς περὶ τοῦ παιδίου· ἐπὰν δὲ εὕρητε ἀπαγγείλατέ μοι, ὅπως κἀγὼ ἐλθὼν προσκυνήσω αὐτῷ. (Mt 2:8)
et mittens illos in Bethlehem dixit: « Ite et interrogate diligenter de puero; et cum inveneritis renuntiate mihi, ut et ego veniens adorem eum ».
そして彼らをベツレヘムへ見送りながら王は言った:「行って詳細にその子のことを調べなさい、そして彼を見つけたなら私に報告しなさい、私もまた彼に拝謁するために。」
前節から文が続いていて主語はヘロデ王です。πέμψαςはπέμπω「送る」の現在分詞で主語にかかります。送る対象は対格複数 αὐτοὺς「彼ら」で賢者たちを示しています。送る方向はεἰς + 対格で示され Βηθλεὲμ「ベツレヘム」が続きます。Βηθλεὲμは各変化しません。動詞はεἶπον「言った」の三人称単数εἶπενです。この動詞はアオリストしかないため直説法では常に過去への言及となります。
その後はヘロデ王の言った内容になります。二人称複数の命令法が2つあります。ἐξετάζω「調べる」のアオリストἐξετάσατεとἀπαγγέλλω「報告する」のアオリスト ἀπαγγείλατεです。ἀπαγγέλλωはἀπο-「離れて」とἀγγέλω「伝える」の連結したものです。
πορευθέντεςはπορεύω「行く」「運ぶ」のアオリスト受動分詞の男性複数で命令している相手つまり賢者たちを指しています。この動詞は受動態でも「行く」の意味を持ちます。受動態として「運ばれる」つまり「(星に)導かれる」という解釈もできるかもしれません。ἀκριβῶςは副詞で「詳しく」「正確に」という意味を持ちます。περί + 属格で主題を表します。περὶ τοῦ παιδίουは「その子供について」と読むことができます。πορευθέντεςに相当するラテン語はiteですがこれはeo「行く」二人称複数の命令法です。ギリシア語文では πορευθέντες ἐξετάσατε「導かれながら調べなさい」は分詞と命令法の動詞の組み合わせですがラテン語のite et interrogateは2つの命令法の並置で「行きなさい、そして調べなさい」の意味になります。
ἐπάνはἐπείとἄνの連結した語で接続法を伴って未来に起こりうることを示す接続詞として機能します。「〜したなら」と訳します。ラテン語ではet cum「そして〜するとき」がこれに相当します。
動詞はεὑρίσκω「見つける」の接続法のアオリスト二人称複数 εὕρητεです。目的語はありませんがπαίδιον「子供」であることは明らかです。ἐπὰν εὕρητεは「彼を見つけたなら」と読みます。その後先程の二つ目の命令ἀπαγγείλατε「報告しなさい」が来ますがその報告先は与格 μοι「私に」です。
ὅπωςは従属接続詞で主節の目的「〜するために」と表現するのに使います。κἀγὼはκαὶ「〜もまた」と主語 ἐγώ「私」の連結した語で「私もまた」と訳します。ἔρχομαι「行く」のアオリスト分詞ἐλθώνは主語に掛かります。動詞はπροσκυνέω「神聖なものに会う」「拝謁する」の接続法アオリスト προσκυνήσωです。一般に主語に分詞が掛かる場合これを最初の動詞として、本動詞を二番目の動詞として解釈すると現代文としてしっくり来ます。よって ἐγὼ ἐλθὼν προσκυνήσωは「私は行って拝謁する」とあたかも2つの動詞が並置されているように読むことになります。拝謁する相手は与格 αὐτῷ「彼に」ですがこれも同じく「子供」を指します。
ラテン語もコメントした部分以外はほぼギリシア語文と同じ構文になっています。
ヘロデ王は賢者たちをベツレヘムへ見送るということは道を尋ねた賢者たちに一定の計らいをしたことになります。賢者たちは東方から来ていてヘロデ王の臣下というわけではないので、これに続く彼の要求は命令法の形を取っていますが強制性の薄いものと思われます。