賢者たちは目的の場所にたどり着けるのでしょうか?
Par Eirian Evans, CC BY-SA 2.0, Lien
Οἱ δὲ ἀκούσαντες τοῦ βασιλέως ἐπορεύθησαν, καὶ ἰδοὺ ὁ ἀστήρ ὃν εἶδον ἐν τῇ ἀνατολῇ προῆγεν αὐτούς, ἕως ἐλθὼν ἐστάθη ἐπάνω οὗ ἦν τὸ παιδίον. (Mt 2:9)
Qui cum audissent regem, abierunt. Et ecce stella, quam viderant in oriente, antecedebat eos, usque dum veniens staret supra, ubi erat puer.
王の話を聞いた彼らは進んでいった、そして、見なさい、彼らが日の出の地において見た星が彼らを導いていた、進んでいったその星が幼い子供のいる場所の真上で静止するまで。
最初は定冠詞οἱとἀκούω「聞く」のアオリスト分詞 ἀκούσαντεςで「聞いた彼ら」と主語を表しています。これは賢者たちの言い換えになっています。この動詞 ἀκούωは聞く相手として属格を取ります。ここではβασιλεύς「王」の属格 βασιλέωςです。動詞はπορεύω「行く」「運ぶ」のアオリスト受動態です。前節でも出てきたとおり受動態でも「行く」の意味を持ちます。
接続詞καί「そして」を挟んで、注意をうながす副詞 ἰδού「みなさい」が続きます。主語は ὁ ἀστήρ「星」で対格の関係代名詞 ὅνを伴って関係節で詳しく記述されます。関係節の動詞 εἶδονはアオリスト三人称複数で「見た」の意味、ἐν τῇ ἀνατολῇは「日の出の地において」「東で」の意味です。主語はありませんが賢者たちです。ὁ ἀστήρ ὃν εἶδον ἐν τῇ ἀνατολῇは「彼らが日の出の地において見た星」という名詞句となります。これに対する動詞は προάγω「前に導く」の未完了προῆγενです。この動詞はπρό「前へ」とἄγω「行く」「導く」の連結したものです。導く対象は対格複数 αὐτούς「彼ら」です。
ἕωςは接続詞で「〜まで」という従属節を作ります。従属節の主語はありませんが、ἔρχομαι「来る」「行く」のアオリスト分詞主格男性単数が省略されている主語「星」に掛かっています。動詞はἵστημι「静かに置く」のアオリスト受動態 ἐστάθηです。この動詞は受動態では「静止する」の意味になります。副詞ἐπάνωは「上部に」「真上に」の意味で場所を表す関係副詞 οὗでさらにもう一段階内側の従属節が作られます。この従属節の主語はπαιδίον「小さいこども」「幼い子ども」で動詞はεἰμί「いる」の未完了ἦνです。ἐπάνω οὗ ἦν τὸ παιδίονで「幼い子供のいる場所の真上で」と訳すことができます。
賢者たちはその出発の根拠となる星をまた見つけることができ、今度は目的地までたどり着いたのでした。この星は「ベツレヘムの星」、英語で Star of Bethlehem、フランス語で Étoile de Bethléemと呼ばれクリスマスツリーのてっぺんに飾られる星としてよく知られています。