賢者たちは小さい子どもの真上に静止する星を見ることになります。
Par Juan Bautista Maíno — Museo del Prado: http://www.museodelprado.es/uploads/tx_gbobras/P00886.jpg, Domaine public, Lien
ἰδόντες δὲ τὸν ἀστέρα ἐχάρησαν χαρὰν μεγάλην σφόδρα. (Mt 2:10)
Videntes autem stellam gavisi sunt gaudio magno valde.
そしてその星を見た彼らは非常に大きな喜びに喜んだ。
最初は分詞構文です。ἰδόντεςはεἶδονのアオリスト分詞主格男性複数で省略されている主語「賢者たち」を指しています。その目的語は対格の τὸν ἀστέρα「星」です。動詞はχαίρω「喜ぶ」のアオリスト受動態三人称複数ἐχάρησανです。この動詞は通常は喜ぶ対象を与格または分詞で取るとされていてここでは「その星を見たこと」が相当します。しかし稀なケースで対格を取る場合もあるようで、ここでは女性名詞 χαρά「喜び」の対格単数とμέγας「大きい」の対格女性単数μεγάληνがそれに当たります。ἐχάρησαν χαρὰν μεγάληνは直訳すると「大きな喜びを喜んだ」となります。日本語では同じ由来を持つ品詞違いの単語を並べる「頭痛が痛い」「髪を散髪する」といった表現は揶揄されこともありますが、古典語ではこれを強調する方法として用いられています。日本語的な表現で「喜びに喜ぶ」というのがあるので原文の冗長性を保つためこれを訳に使います。σφόδραは副詞で「非常に」「過剰に」の意味です。
この冗長性はラテン語文でも見られます。gavisi suntはgaudeo「喜ぶ」の完了です。この動詞はセミデポーネント動詞、半欠格動詞と呼ばれ能動態のみ存在ます。完了語幹がないため完了、過去完了、未来完了の能動態は形式上は受動態の形を取ります。このgavisi sunt、完了分詞+動詞sumの形式も通常の動詞であれば完了受動態ですがセミデポーネント動詞では完了能動態として扱われます。ここで使われる分詞 gavisusもそれに合わせて完了能動分詞と呼ばれてます。gaudioはgaudium「喜び」の奪格単数でgaudeoに由来しています。gavisi sunt gaudio magnoは「大きな喜びによって喜んだ」となり、ここでも同じ由来の語による反復が見られます。