天使が去ったあと羊飼いたちはすぐに行動を起こします。この羊飼いたちによる誕生したイエスへの訪問をフランス語で Adoration des bergers、英語でAdoration of the Shepherdsといいます。
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Καὶ ἐγένετο ὡς ἀπῆλθον ἀπ’ αὐτῶν εἰς τὸν οὐρανὸν οἱ ἄγγελοι, οἱ ποιμένες ἐλάλουν πρὸς ἀλλήλους· διέλθωμεν δὴ ἕως Βηθλέεμ καὶ ἴδωμεν τὸ ῥῆμα τοῦτο τὸ γεγονὸς ὃ ὁ κύριος ἐγνώρισεν ἡμῖν. (Lc 2:15)
Et factum est, ut discesserunt ab eis angeli in caelum, pastores loquebantur ad invicem: « Transeamus usque Bethleem et videamus hoc verbum, quod factum est, quod Dominus ostendit nobis ».
そして次のような出来事が起こった、天使たちが彼らから離れ天に向って去ったとき、彼らはお互いに話し合っていた:「それではひとまずベツレヘムに行って、主が起こったと私たちに知らせたその話を目にしないか。」
ἐγένετοは「出来事があった」という意味で、こちらで詳しく説明しています。
ὡςは時を表す接続詞で以下従属節が続きます。主語は ἄγγελος「天使」の複数 οἱ ἄγγελοι、動詞は ἀπέρχομαι「離れて行く」「去る」のアオリストἀπῆλθονです。ἀπέρχομαιは前置詞 ἀπο「〜から遠ざかって」とἔρχομαι「行く」の複合語です。さらに ἀπ’ αὐτῶν「彼らから離れて」、εἰς τὸν οὐρανὸν「天に向かって」でその様子が描写されています。
主節の主語はποιμήν「羊飼い」の複数 οἱ ποιμένες、動詞はλαλέω「話す」「おしゃべりする」の未完了ἐλάλουνです。前置詞 πρός「に対して」とἀλλήλων「他のもの」の対格複数 ἀλλήλουςで「他のものに対して」となりますが「お互いに」と言って良いと思います。ラテン語の ad invicemは同じ作りになっていますしinvicem自体が副詞でもあり「お互いに」を意味します。フランス語LSでは les bergers se dirent les uns aux autres、英語KJVでは the shepherds said one to anotherと訳されています。
次に彼らの話した内容が続きます。動詞はδιέρχομαι「(通って)行く」の接続法アオリスト一人称複数 διέλθωμενです。アオリスト時制は直説法ではフランス語の単純過去のような過去に完結した一つの動作を表現しますが、直説法以外では過去の意味はなくなり、一回きりの単純な動作の表現として使われます。またギリシア語にはフランス語にあるような命令法の一人称複数はなく「〜しよう」という表現は接続法一人称複数が使われます。このためδιέλθωμενは「行こう」「行かないか?」というような呼びかけの意味になります。この事情はラテン語の接続法現在一人称複数のtranseamusでも全く同じです。
δήは接辞で「それでは」、ἕωςは副詞「今のところ」「ひとまず」、目的語となる対格 Βηθλέεμ「ベツレヘム」が続きます。
もう一つの動詞ἴδωμενもεἶδον「見る」「知覚する」の接続法アオリスト一人称複数で「見よう」と訳せます。見るものは対格ῥῆμα「話されたこと」で、指示代名詞τοῦτο「その」とγίγνομαιの完了分詞 γεγονός「起こった」「発生した」で修飾されています。ここまでで直訳で「起こったその話」となります、「ニュース」としても良いかもしれません。
ῥῆμαにはさらに関係節がὅで導かれ主語 κύριος「主人」、動詞γνωρίζω「知らせる」のアオリスト ἐγνώρισεν、与格 ἡμῖν「私たちに」が続きます。τὸ ῥῆμα τοῦτο τὸ γεγονὸς ὃ ὁ κύριος ἐγνώρισεν ἡμῖνは「主が私たちに知らせたその起こった話」 となりますが「主が起こったと私たちに知らせたその話」としたほうがわかりやすくなります。