人々がただ驚くばかりの一方でマリアの反応はそれとは違いました。
By Matthias Stom – Google Art Project, Public Domain, Link
ἡ δὲ Μαριὰμ πάντα συνετήρει τὰ ῥήματα ταῦτα συμβάλλουσα ἐν τῇ καρδίᾳ αὐτῆς. (Lc 2:19)
Maria autem conservabat omnia verba haec conferens in corde suo.
しかしマリアはそれらの話すべてを受け止めていた、その心の中で思索しながら。
δέは前の流れと異なる場合に使われます。ここでは「しかし」とします。ラテン語の接続詞 autemも同様です。
主語は Μαριὰμです。ユダヤ人の名前はギリシア語の語尾変化をしないのですが定冠詞 ἡで主格であることがわかります。動詞はσυντηρέω「守る」「保つ」の未完了συνετήρειです。目的語は πάντα τὰ ῥήματα ταῦτα「それらの話すべて」です。話を「守る」「保つ」というのは聞き流さないことを意味するので「受け止める」と訳します。ラテン語のconservabatはconservo「保持する」「保存する」の未完了です。
マリアに対してσυμβάλλωの現在分詞 συμβάλλουσαが修飾しています。この動詞はσυν-「一緒に」とβάλλω「投げる」が連結した単語ですが「一緒に投げる」の他に「思索する」「推測する」の意味もあります。conferensはconferoの現在分詞です。この動詞もcon-「一緒に」とfero「運ぶ」の連結した語で、「心の中で一緒にする」「熟考する」という意味があります。
ἐν + 与格「〜の中で」にκαρδία「心」の与格καρδίᾳ、属格女性単数αὐτῆς「彼女の」が続きます。ἐν τῇ καρδίᾳ αὐτῆςは「彼女の心のなかで」という意味です。in corde suoも「彼女の心のなかで」という意味です。
ここでの表現は前節の人々の反応と対比されています。羊飼いたちの話を聞いた他の人々は驚きはしますが、それを信じたり心に深くとどめておくような表現はされていませんでした。一方でマリアは同じその話を受け止めてよく考えていたと語られています。これはイエスの誕生の重要性を理解する人と理解しない人がいたことを示しています。ヨセフについては語られていませんが、ただ驚いただけの人々よりはマリアに近い心境ではないかと思われます。