羊飼いたちは戻っていきます。
By Sebastiano Conca – www.getty.edu/art/gettyguide, Public Domain, Link
καὶ ὑπέστρεψαν οἱ ποιμένες δοξάζοντες καὶ αἰνοῦντες τὸν θεὸν ἐπὶ πᾶσιν οἷς ἤκουσαν καὶ εἶδον καθὼς ἐλαλήθη πρὸς αὐτούς. (Lc 2:20)
Et reversi sunt pastores glorificantes et laudantes Deum in omnibus, quae audierant et viderant, sicut dictum est ad illos.
そして羊飼いたちは帰っていた、まるで彼らに語られていたことの通りに彼らが耳にし目にしたすべてについて神を讃えそして語りながら。
主語は οἱ ποιμένες「羊飼いたち」で動詞はὑποστρέφωのアオリスト ὑπέστρεψανです。この動詞はὑπο-「下に」とστρέφω「回す」「ねじる」の連結した言葉で「帰る」の意味ももちます。ラテン語の場合デポーネント動詞 revertor「帰る」の完了reversi suntが使われています。
主語には2つの分詞で修飾されています。δοξάζω「考える」の現在分詞δοξάζοντεςとαἰνέω「語る」の現在分詞αἰνοῦντεςです。δοξάζωは名詞δόξα「意見」「栄光」と同じように聖書の文脈では「栄光を讃える」「賛美する」の意味を持ちます。この分詞に使われる動詞は両方共他動詞のため目的語を取ります。ここでは一つの目的語 τὸν θεὸν「神」を共有しています。
ἐπί + 与格でなにについて賛美し語るのかが表現されます。ここではπᾶς「すべて」の与格中性複数πᾶσινにそれを先行詞としてοἷς以下で関係節が続きます。関係節にはアオリストの動詞 ἤκουσαν「彼らは聞いた」とεἶδον「彼らは見た」があります。ἐπὶ πᾶσιν οἷς ἤκουσαν καὶ εἶδον「彼らの耳にしたそして目にしたすべてのことについて」となります
副詞 καθώς「まるで〜のように」が続きさらに従属節が展開されます。動詞はλαλέωのアオリスト受動態ἐλαλήθη「話された」で主語はπᾶσινを引き継いでいます。 πρὸς αὐτούςは「彼らに対して」の意味です。彼らの見聞きしたことは καθὼς ἐλαλήθη πρὸς αὐτούς「まるで彼らに語られたよう」であったと読めます。
羊飼いたちの話については、世の人々がただ驚くばかりである一方、マリアがそれを受け止めていました。話し伝えた当の羊飼いたちは人々の反応については気にとめず、ただ自分たちの体験したことを肯定的にとらえている様子がうかがえます。聖書の文脈では羊飼いたちは指導者のメタファーで使われることを考えると、イエスの誕生はごく少数ではあるものの心の確かな人たちに賛美されたのだと読み解くことができると思います。