エレミヤ書の新約(1)神の種蒔き


新約聖書を中心に読むことにしていますがそもそも「新約」とはどこから来た言葉なのでしょうか?新約を意味するギリシア語のδιαθήκη καινήが出て来る箇所が旧約聖書のエレミヤ書にありました。実際にでてくるのは4節後ですが流れを見るため少し前から読みます。

Melozzo da forlì, angeli coi simboli della passione e profeti, 1477 ca., profeta geremia 01.jpg
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διὰ τοῦτο ἰδοὺ ἡμέραι ἔρχονται, φησὶν κύριος, καὶ σπερῶ τὸν Ισραηλ καὶ τὸν Ιουδαν σπέρμα ἀνθρώπου καὶ σπέρμα κτήνους. (Ier LXX 38:27 / Μασ. 31:27)

ecce dies veniunt dicit Dominus et seminabo domum Israhel et domum Iuda semine hominis et semine iumentorum (Ier 31:27)

「見なさい、その間に日々が訪れる」と主は言う、「そして私はイスラエルとユダに人間の種と家畜の種を蒔くだろう。

φησὶνはφημί「言う」の三人称単数現在で主語は κύριος「主人」です。この文はκύριοςによって語られていることがわかります。その内容ですが、注意をうながす ἰδοὺ「見よ」がまずあります。次に主語 ἡμέραιはἡμέρα「日」の複数形で、動詞はἔρχονται、ἔρχομαι「来る」の三人称複数現在です。διά + 対格で期間を表しますが、この指示代名詞 τοῦτοはここまでに語られている預言の成就する時を指しているようです。

σπερῶはσπείρω「種を蒔く」の一人称単数未来です。この動詞に対して2組の対格が出てきます。一組目はτὸν Ισραηλ「イスラエル」と τὸν Ιουδαν「ユダ」の組で、二組目がσπέρμα「種」です。属格ἀνθρώπουとκτήνουςがつき σπέρμα ἀνθρώπου καὶ σπέρμα κτήνους「人間の種と家畜の種」と説明されています。σπείρωは動詞として対格を2つ取るのかは辞書で確認できませんでしたがラテン語訳を見ると一組目は対格 domum Israhel et domum Iuda semine 「イスラエルの家とユダの家」で二組目は奪格 semine hominis et semine iumentorum「人間の種と家畜の種」でした。つまり一組目は蒔く先で二組目は蒔く動作を行う手段だと推測できます。σπείρωもseminoも「種を蒔く」意味で動詞の中に直接目的語も含まれてしまっています。あとはどんな種なのかだけが問題となるのですがラテン語訳ではこれが奪格で表現されていました。つまり「人間の種と家畜の種によって種蒔きをする」という表現です。ただこのままの日本語では冗長に感じるので訳は省略しました。

またσπέρμα「種」はσπείρω「種を蒔く」と同じ語根を持っている単語です。κτῆνοςは獣でも「家畜」を指す単語でθηρίον「野獣」とは区別されています。

エレミヤ書に当たるときに気をつけなければ行けないのがギリシア語版のSeptuagintaとラテン語版の章立てが異なっていることです。ラテン語版やその他現代語訳の一般的な版はヘブライ語のマソラテキストに合わせてあるのですが、Septuagintaは独自の編集が入っているようです。ここで見た節は一般的には31章27節と引用では表示されます。

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