神は古くから語られる親子間の因果関係を介入後の世界においては否定します。同じ言葉を使い新しい因果関係を次のように示します。
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ἀλλ᾽ ἢ ἕκαστος ἐν τῇ ἑαυτοῦ ἁμαρτίᾳ ἀποθανεῖται, καὶ τοῦ φαγόντος τὸν ὄμφακα αἱμωδιάσουσιν οἱ ὀδόντες αὐτοῦ. (Ier LXX 38:30 / Μασ. 31:30)
sed unusquisque in iniquitate sua morietur omnis homo qui comederit uvam acerbam obstupescent dentes eius (Ier 31:30)
しかしそれぞれが自分自身の過ちにおいて死ぬであろう、そして未熟なぶどうを食べた者自身の歯がグラグラするであろう。
前節で古い言い方が否定されたあとでἀλλά「しかし」、ἤ「または」と続きます。 主語はἕκαστος「それぞれ」で動詞はἀποθνήσκω「死ぬ」の未来ἀποθανεῖταιです。その状況としてἐν + 与格で説明があります。与格 ἁμαρτίᾳは「過ち」で属格 ἑαυτοῦ「自分自身の」と属性が付与されています。ラテン語ではin + 奪格で同様に説明されます。 iniquitateはinquitasの奪格で「不正」「不義」「罪」などの意味があります。
接続詞 καίの後に後半の主節がきます。前節の文章がそのまま繰り返されます。主語はὀδούς「歯」の複数 ὀδόντεςで動詞はαἱμωδιάω「グラグラしたり出血した歯を持つ」の未来 αἱμωδιάσουσινです。この動詞は前節ではアオリスト時制で使われていました。誰の歯であるかは属格で示されます。定冠詞τοῦ に続いてἐσθίω「食べる」のアオリスト分詞の属格男性単数 φαγόντοςで「食べた人」、そして食べたものはὄμφακα「熟していない果実(特にぶどう)」です。動詞 ἐσθίωの変化形とὄμφακαは前節で出てきていました。文末に再度属格αὐτοῦ「彼自身の」がつけられ前半のἑαυτοῦ同様強調されています。
ラテン語ではomnis homo qui comederit…「〜を食べたすべての者が」と表現され、omnis「すべての」というギリシア語にない語が足されています。
この「未熟なぶどう」についてはここ以外にもエゼキエル書 (Ez 18:2)にも出てきます。
Οἱ πατέρες ἔφαγον ὄμφακα, καὶ οἱ ὀδόντες τῶν τέκνων ἐγομφίασαν
前節の言い方とほぼ同じです。違うのは歯に対して使われる動詞が ᾑμωδίασανでなくγομφιάζω「きしむ」のアオリストἐγομφίασανが使われている点です。