エレミヤ書の新約(7)更新される契約の形


古い契約のあとに来るであろう新しい契約について神は語ります。

Carl Ebert Das zerstörte Jerusalem 1869.jpg
By Carl Ebert (1821-1885) lot-tissimo, Public Domain, Link

ὅτι αὕτη ἡ διαθήκη, ἣν διαθήσομαι τῷ οἴκῳ Ισραηλ μετὰ τὰς ἡμέρας ἐκείνας, φησὶν κύριος Διδοὺς δώσω νόμους μου εἰς τὴν διάνοιαν αὐτῶν καὶ ἐπὶ καρδίας αὐτῶν γράψω αὐτούς· καὶ ἔσομαι αὐτοῖς εἰς θεόν, καὶ αὐτοὶ ἔσονταί μοι εἰς λαόν· (Ier LXX 38:33 / Μασ. 31:33)

sed hoc erit pactum quod feriam cum domo Israhel post dies illos dicit Dominus dabo legem meam in visceribus eorum et in corde eorum scribam eam et ero eis in Deum et ipsi erunt mihi in populum  (Ier 31:33)

「しかしそれは私がイスラエルの家にその日々より後に置く契約であり」と主は言う、「私は自分の法律を彼らの思考の中へ贈り彼らの心の中に刻みつけるだろう。そして私は彼らにとって神となり、彼らは私にとって民となるであろう」

前節にあったὅτι以下は古い契約についての説明でした。古い契約は来るべき日には参照されない(οὐ κατὰ τὴν διαθήκην … ὅτι)とのことでしたが、ὅτιから始まるこの文では来るべき日の新しい契約がどのようなものであるか説明がされます。前節の最後はギリシア語と差異があり、より正しいと思われるラテン語から訳したので、こちらもラテン語訳のみ存在する接続詞 sed「しかし」も訳に取り入れます。

αὕτη ἡ διαθήκηはἐστίνを補い「それは契約である」という意味です。その契約は関係代名詞 ἣνにより関係節で説明されます。関係節の動詞 διαθήσομαιは何度も出てきた διατίθημι「配置する」の一人称単数未来、配置先は与格 τῷ οἴκῳ Ισραηλ「イスラエルの家」、時間はμετά + 対格で「〜より後に」で説明されます。対格複数 τὰς ἡμέρας ἐκείναςを伴って「その日々より後に」となります。

φησὶν κύριος「主は言う」の後の文も関係節の中です。動詞 δώσωはδίδωμι「贈る」の一人称単数未来です。その前にδιδούςという同じδίδωμιの現在分詞主格男性単数があり「私は贈りながら贈るであろう」と同語反復になっています。ラテン語ではこの分詞は訳されていません。

贈るものはνόμοςの対格複数νόμουςで「分配されたもの」「一般的な意見」「法律」の意味があります。もともとはνέμω「分配する」という動詞に由来しています。一般的な日本語で「律法」と訳されています。贈る先はεἰς + 対格「〜の中へ」でδιάνοια「思考」の対格 διάνοιανとそれを補完する属格αὐτῶν「彼ら自身の」が続きます。このδιάνοιαは動詞διανοέομαι「意図する」「熟考する」に由来しています。またこの単語に含まれるνοιαの部分はνόος「気持ち」とも共通していて合理的な「思考」だけを指しているものではないようです。

καί の後の動詞はγράφω「描く」「書く」「石などに刻む」の一人称単数未来 γράψωです。graph-を含む現代語の多くがこの動詞に由来しています。対格複数 αὐτούςは「人々」とνόμους「法律」の2つの解釈がます。その場所はἐπί + 属格「〜の上に」「〜に向けて」と続くκαρδία「心」の属格単数 καρδίαςです。ここでは定冠詞がなくκαρδίαςは対格複数の可能性も否定できません。ラテン語を見ると in cordeと奪格単数で表現されていて、ギリシア語で対応する属格単数の表現と特定できます。

再びκαίが続きεἰμίの一人称単数未来ἔσομαι「私は〜であろう」ですが通常の補語の代わりにεἰς + 対格で説明されています。この場合「中へ」という意味よりも「現在は違うかもしれないが未来ではこうだろう」という意味が込められていると思われます。その後に θεός「神」の対格 θεόνが続きます。αὐτοίは与格で「彼ら自身にとって」です。

最後にその対比で主語αὐτοί「彼ら自身」、εἰμίの三人称複数未来 ἔσονται「なるであろう」、与格 μοι「私にとって」、εἰς λαόν「民衆(の方向)へ」で同じ構文が続きます。

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