前節の古い契約の前提に対して新しい契約の優越性が示されます。
マルタ島の切手 1919年 By Government of Malta displayed on this webpage of the Smithsonian w:National Postal Museum, Link
πῶς οὐχὶ μᾶλλον ἡ διακονία τοῦ πνεύματος ἔσται ἐν δόξῃ; (2 Cor 3:8)
quomodo non magis ministratio Spiritus erit in gloria?
聖霊の奉仕はどれほど栄光のうちにあるのではなかろうか?
πῶςは疑問副詞「どのくらい?」で動詞はεἰμίの未来 ἔσταιです。否定辞 οὐχίが付き「どれくらい〜でなかろうか?」となります。否定の疑問文は肯定の答えを求めるものです。
主語は前節でも出てきた διακονία「奉仕」、ただしπνεῦμα「聖霊」の属格 πνεύματοςが付くので前節の「死の奉仕」とは異なるものです。μᾶλλονはμάλα「とても」の比較級、ἐν δόξῃ「栄光の中で」となります。
ラテン語訳はギリシア語の直訳になっています。in gloriaはin + 奪格の形です。
前節の仮定を前提にこの節の比較が成り立っているので対応箇所をまとめます。その前からの比較も入れてあります。
古い契約 | 新しい契約 |
---|---|
石に文字として掘られた 死の奉仕 |
聖霊の奉仕 |
栄光のうちに為された | 栄光のうちにあるだろう |
モーゼの姿を見ることができない | |
モーゼの姿の栄光は効力を失った | |
文字の下僕 | 聖霊の下僕 |
文字は私たちを滅ぼす | 聖霊は私たちを活かす |
新しい契約は古い契約とは異なる主張があることがわかると思います。注意するのは古い契約のἐγενήθη「なされた」と新しい契約の ἔσται「あるだろう」の対比です。ἐγενήθηは γίγνομαι「成る」のアオリスト受動態で「(第三者に)よってなされた」の意味になります。これは中動態ἐγένετο「おのずと成る」とは違う形で、第三者の行いによって初めて成立する言い方です。ἔσταιはεἰμί「存在する」の意味もあり「なされるかなされないかに関係なく」成立する言い方となっています。契約の形が外部から内部の問題になっていることがわかると思います。
対応する箇所のないところについては空白にしていますが、少なくとも「イエスの姿の栄光」はパウロの視点では効力を失っていないでしょう。「姿」を見れるかについてはこの章の最後 (2 Cor 3:18)でパウロの主張があります。