古い契約と新しい契約は「栄光」との関係性に違いがあります。
Rembrandt van Rijn (Dutch, 1606 – 1669 ), The Apostle Paul, c. 1657
εἰ γὰρ τὸ καταργούμενον διὰ δόξης, πολλῷ μᾶλλον τὸ μένον ἐν δόξῃ. (2 Cor 3:11)
si enim, quod evacuatur, per gloriam est, multo magis, quod manet, in gloria est.
というのももし栄光を通して効力を失うものがあるのであれば、栄光のうちに留まるものは遥かに優れている。
εἰ「もし」から始まる前半の従属節と後半の主節から文は構成されています。両方で ἐστίが省略されています。
καταργούμενονはκαταργέω「効力を失わせる」「止める」「廃止する」の中動分詞中性単数です。分詞の中性単数は定冠詞 τόを伴って抽象的なものを意味するようになります。受動分詞も同じ形ですが「効力を失わうようにさせられたもの」というより中動分詞の「効力を自ずから失ったもの」と訳したほうが意味が通りやすいと思われます。前置詞 διά + 属格は「〜を通り抜けて」という意味になります。
ラテン語の場合は分詞ではなく関係節で表現されています。evacuaturはevacuo「空にする」の現在受動態です。quod evacuaturは「空にされたもの」という意味になります。フランス語 écavuerや英語evacuateもこの動詞に由来しています。
πολλῷはπολύςの与格で「数において」「質において」の意味になります。μᾶλλονは副詞 μάλα「とても」の比較級です。πολλῷ μᾶλλονとつなげると「とてもすごい」という程度の意味になります。このため文意にそって意訳する必要があります。これはラテン語の multo magisも同様です。
μένονはμένω「留まる」の現在能動分詞です。ἐν + 与格で動きを伴わない「〜の中に」の意味になります。ἐνは対格を伴うこともできますがこの場合「〜の中へ」という動きを伴う意味を持ちます。ラテン語の前置詞inも奪格を伴って動きのない意味と、対格を伴って動きのある意味を表現します。gloriaは奪格単数です。
ラテン語文は意図的にカンマでギリシア語の分詞に当たる関係節と前置詞を切っていますがこれに従うと次のように読めます。
というのももし空虚にされるものが栄光を通して存在するのであれば、留まるものは遥かに優れて栄光のうちに存在する。
ちなみにフランス語訳LSや英語訳KJVでは前置詞はなくそれぞれgrorieux、gloriousという形容詞で置き換えられています。なので「〜を通して」とか「〜の中に」という意味は失われています。
En effet, si ce qui était passager a été glorieux, ce qui est permanent est bien plus glorieux.
For if that which is done away was glorious, much more that which remaineth is glorious.
言うまでもなく従属節にある前者は「古い契約」「死の奉仕」に関連するもので、主節後者は「新しい契約」「聖霊の奉仕」に関連するものになります。いずれの訳でも古い契約が「過ぎ去るもの」、新しい契約が「留まるもの」という性質を持つことが表現されています。