髪の毛について

こんにちはサクラです。

今日はホルモン療法やSRSによる髪の変化について書きます。個人差のあることなので、あくまで参考まで。

女性化以前

まず髪の毛の生え方は遺伝による影響が大きいと言われます。私の父は早死しましたが、髪の生え際がM字型でAGA(男性型脱毛症)が進行していたと思います。私は幼い頃から「父に似てる」と言われていて、たしかに髪の生え際がM字型でした。若い頃はそれなりに前髪があるものであまり気になりませんでしたが、30近くなると前髪から頭頂部の髪が細くなり長く伸びる前に抜けてしまい、おでこがひろくなってきました。こんな形で血の濃さを感じることになったわけです。

母にとっての父のイメージは若いまま更新されないためか、何年たっても髪の毛が多い父でしかありません。しかし実の息子、しかも父に似ていると言われている息子の髪の毛が日々薄くなっていくのをみてなにか思ったのでしょう、母は発毛剤を私にくれました。しかし何本か使ってみて効果が見られないため、私は使うのをやめてしまいました。実際には効果はあったかもしれませんが、AGAの進行には抗いきれなかったのだと思います。

AGAに対する治療薬でよく使われるのは以下の二つです。

  • フィナステリド錠剤
  • ミノキシジル溶液

フィナステリド錠剤は日本ではプロペシアの名前で知られていて、もともとは前立腺肥大の治療薬として開発されました。入手するには医師に処方して貰う必要があります。女性に対しては男性胎児に悪影響があるとのことで処方されていません。ミノキシジル溶剤は高血圧の治療薬として開発され、リアップという第一類医薬品として薬局で買うことができます。

両方とも開発時に副作用として発毛が認められたため、逆にそれを主作用とした発毛剤が商品化されたわけです。AGAに対してはこの両方を併用すると効果があるとされています。これらの薬は並行輸入で海外から安く買うこともできます。

ミノキシジルは海外では内服のタブレットも存在するようですが、副作用が強いため日本では認可されていません。

ホルモン療法期

私がホルモン療法を開始したのは30代なかばのことでした。当初は性の違和感による緊急避難のためでしたが、女性化が進んでくると髪の毛のことも気になりだしてきました。顔つきや体つきが女性化する一方で、髪の毛はそれまでとあまり変わらなかったからです。これがなんとも言えないアンバランスさを見せてしまい、再度発毛剤を試しました。

しかし二度目の治療も効果がみられず、結局ウィグに頼ることにしました。ウィグはかぶるだけで髪の毛があるように見えるのでかなり重用しました。いろいろ試したところ、肩にかからないボブくらいの長さのウィグに落ち着きました。手入れが楽だからです。

ウィグの欠点はいくつかあります。まず、寿命があるということです。毎日使っていると半年くらいすると傷んでくるため、その都度同じものを買い替えます。それなりの品質のものを継続して使うとなるとそれなりの出費は必要となります。

また頻繁に顔をあわせている相手に違和感を与えてしまいます。髪の長さが全然変わらないことくらい誰でも気づきます。そしてヘアスタイリストなど髪の毛のプロであれば一発でわかることです。「これはウィグなのです」という打ち明け話をすればいいのですが、それが性同一性障害だのいろいろ壮大な話に発展してしまうため、なかなか自分から気楽な話題にできません。するとなんとなく一種のタブーとなってきて、結果として私は最低限の人付き合いはするものの、あまり親しくなるのを避けるようになってしまいました。

髪の毛の問題は私にとっては外性器の問題に匹敵するくらい大きなものでした。外性器の問題は温泉やプールから私を遠ざけていましたが、髪の毛の問題は人間関係から私を遠ざけていたからです。この二つの問題のうち、私は外性器の方から対処することにしました。こちらにはSRSという明確で確実な対処法があったからです。

SRS後

SRS後にお風呂やプールに入れるようになりましたが、そこではウィグをつけることはできません。なので半ば強制的にウィグなしの生活に移行する必要が出てきました。一つの問題の解決が他方の問題の対処開始のトリガーとなったわけです。術後数ヶ月様子をみたのですが劇的な髪の毛の増加は見られませんでした。おでこの生え際に少し産毛が生えたことで悲劇性は薄れたものの、あまり大きな改善とは言えないものでした。

そこで、かつて断念したAGAの治療を三度試すことにしました。ホルモン療法やSRSにより体が女性化されているとしても、脱毛の原因がAGAである以上、AGAに対しての治療をするべきと思ったからです。フィナステリドは女性には処方されないと書きましたが、あくまで「妊娠している、あるいは妊娠可能な女性」に対してであり、閉経後の女性や避妊を徹底している女性には処方されることもあるようです。女性であるかも疑わしい上に、妊娠可能性も月経さえもない私には、処方されない理由は無いということになります。

結果は三度目の正直といったところでしょう。治療開始から5ヶ月ほど経過していますが、前髪と頭頂部の毛量は少し太くなり、毛量が増えてきました。まだ太い毛の長さが十分ではないのですがさしあたってAGAの髪には見えなくなりました。実際のところ、温泉でも前髪を気にせず女湯に入れるようになりました。この対応で髪の毛の改善が加速されたことは間違いありません。

以前の二度の治療時に効果がなかったのは、睾丸から分泌される男性ホルモンの影響下にあったためだと思われます。相変わらず髪については個人差があるものと思われますが、私にとっては男性型脱毛の原因、平たく言えばハゲの原因は睾丸だったと言えます。

このようにして母の私の髪に対する思いは全く別な形で成就されたことになりました。今後の課題は、今までウィグありで付き合っていた人間関係をウィグなしのものに移行することです。適当な言い訳が必要ですが、一度きりのことなので適宜進めていきたいと思っています。

SRS後のホルモン療法について

こんにちは、サクラです。

SRSから9ヶ月ほど経ちました、早いものです。今日はSRSのあと行っているホルモン療法について書きたいと思います。

女性ホルモンには卵胞ホルモン(エストラジオール)と黄体ホルモン(プロゲステロン)の二種類がありますが、狭義の女性ホルモン、特にMtFに女性化を促すホルモンというと卵胞ホルモンを指すようです。

SRS前の状況

SRSに至るまで12年間、私は女性ホルモンによるホルモン療法を受けていました。大きく分けるとプレマリン錠という錠剤による卵胞ホルモンの補充の期間、黄体ホルモンと卵胞ホルモンの混合注射の期間、最後に卵胞ホルモンのみの注射期間となります。

最初の錠剤の時期は10ヶ月ほどですぐに注射に切り替えました。

ホルモン療法の経過:10ヶ月目

そのあと、混合注射にしていたのですが、すぐに卵胞ホルモンのみにしてしまいました。黄体ホルモンの効果がよくわからなかったからです。ただ後述しますが黄体ホルモンというのは性周期に重要な働きがあることに後々気づくことになります。

このようなわけで、10年以上卵胞ホルモンのみの注射を受けていました。注射はほぼ週1回の間隔で、多分通常より頻度が高かったかもしれません。

男性ホルモンはこの注射のためずいぶん分泌が抑えられていたと思いますが、睾丸のある間は一定の分泌をしていたようです。これはSRS準備のため直前1ヶ月間ホルモン治療をやめたときに痛感しました。

ペニス 最後の戦い

というわけでSRS前は自前の男性ホルモンと人工の女性ホルモンが拮抗する嵐のような分泌系だったと思われます。その状況に慣れてしまえばたいしたことないのですが、後付で思い起こすとずいぶん体のなかが騒がしかったなと思います。

過ぎ去った喧騒

SRS後の状況

さてSRSが終わって日常に戻ったところで、いつもの医院でホルモン注射を受けることになりました。このとき先生と今後の方針を相談しました。まとめると以下のようなことになります。

  • 睾丸がなくなった今、今までのような頻度で注射する必要はないだろう
  • 前が週1回であるなら二週間に1回で様子をみたらどうか

私はたいてい土曜日に医院に行くので、これからは一週おきの土曜に、言い換えると14日に1回の注射となるわけです。2回注射するのに28日となると、一般の女性でいう性周期に近いのではと思いつき、自分なりの性周期をシミュレートしてみることにしました。

1回目は卵胞ホルモンだけの注射、2回目は卵胞と黄体の両ホルモンの混合注射、これを28日周期で繰り返すというものです。これで、ちょうど女性の性周期と同じような「卵胞期」と「黄体期」の繰り返しとなりそうだというのが目論見です。

MenstrualCycle ja.png
By Shinme – Derived from Image:MenstrualCycle.png, an image made by the user Chris 73, CC 表示-継承 3.0, Link

先生とも相談し、これで様子を見ることになりました。

女性の性周期と重ねるには卵胞ホルモンと黄体ホルモンの比率の変化を追っていけば良いと思います。卵胞ホルモンは2つの山、黄体ホルモンは後半に1つの山という形になり、黄体の山を通常の女性の性周期に重ねると、卵胞ホルモンだけを注射したタイミングは月経が始まるタイミング(卵胞期開始)、混合注射をするタイミングは排卵日(黄体期開始)、と大雑把に考えて良いでしょう。

数回繰り返すうちに、あることに気づきました。ちょうど黄体期の後半の週、卵胞のみの注射の直前一週間に、なんともいえない性的な高揚感を感じるのです。ベッドで一人で寝てるときも、鼻息が荒くなりウッフーンとでもいってしまいそうになります。多分、実際に言ってることもあります。体をくねらせるだけで気持ちよくなってしまうので、このまま自分はどうにかなってしまうのではないか、とちょっと恐ろしくなりました。とはいえ、この状態も次の注射のあとは徐々に収まるのです。

女友達にこういう現象はあるか、と聞いてみました。しかしあるようなないような、なんとなく要領をえない感じでした。そもそも多くの女性はもっと揺れのある性周期を送っているはずですし、私の性周期はあくまで擬似的なので、そんなに細かいところまで共有できないかもしれません。

この現象に対する名前もなさそうだったので私は仮に「ウッフン期」と名付けることにしました。ネットで調べてみると「生理直前のムラムラ期」という呼び方がありましたが、性欲はむしろ排卵期の卵胞ホルモンが分泌される期間のほうが高まるという記述もありました。私には理解し得ないことです。

私の擬似的性周期では卵胞期、黄体期の終わり、つまり注射直前にホルモン量が低下する体験をしているはずですが、ウッフン期は後者の場合しか現れません。黄体ホルモンの低下、あるいは卵胞黄体両方のホルモンの低下で発現するものなのでしょう。この「ウッフン期」を自分に起こる現象として友人に説明してみました。当然ながら失笑を買いました。

ウッフン期になると例えば職場にいる男性の何人かががいい匂いを発しているように感じて、そばにいるだけでいい気分になってしまいます。(私は戸籍が男性なので職場では男性の立場でいますが、周囲には性的マイノリティと了解してもらっています。)

不思議なものでこの匂いは、その人の外見とは関係ありません。たとえ顔がハンサムだと思っても、あまりいい匂いのしない場合もありますし、逆の場合もあります。上司は10歳以上年長の男性ですが、とてもいい匂いがするのでとくにウッフン期はそばにいたいと思ってしまいます。(業務上の理由をつけて隣に座ったりもします。)

私は今まで自分の性指向はバイセクシャルだと思っていました。男性にたいする指向はSRS以前、性同一性障害対応以前から不思議ではないことでしたが、特にSRS以降顕著に、この男性指向を自然に思えるようになりました。一方女性に対する性的指向は全く無いとまではいえないものの極端に低下した気がします。特に相手が私のことを男性と思っている状況では全く無理です。そもそも男性でいたときに付き合っていた女性も私より男っぽい人がほとんどでした。あまり女性らしい女性とは付き合ったことがありません。

もしかしたら、私の場合、「身体性が男性なので女性を好まなければならない」と思い込む、強迫性の疑似バイセクシャルで、本来は単なる男性指向だったのかもしれません。身体性と性自認とが安定してきたのに、性指向だけ「晴れ上がり」が発生しないのはむしろ不思議でさえあります。

SRSから5ヶ月経過

SRS以前に比べて注射の回数も量も減ったので、体の負担も軽くなったのではと思っています。また何か変化があれば追記することにします。

ではよい性周期を!

サルマキスとヘルマフロディトス

こんにちは、サクラです。

今日は両性具有の登場する物語について書きます。このブログのタイトルにも関係するお話なので、ちょっと頑張って書きます。

オウィディウスという古代ローマの詩人による『変身物語』という作品があります。原題はMetamorphosesといい日本語でもこれに由来するメタモルフォーゼというカタカナ語をみかけます。昆虫が幼虫から成虫になることを変態といいますが、これは英語でmetamorphosisといいます。遡るとμεταμορφόω「変形する」「擬態する」という古代ギリシア語の動詞にたどり着きます。

この作品には、不死であり不変普遍の神々と、死すべきそして不可逆に形を変え続ける人々、そしてその中間的な半神の妖精たちが数多く登場します。男神アポロンに追われ祈りによって月桂樹に変身したダフネや、水に映る自分に恋をして溺れた挙げ句に水仙となったナルキッソスや、女神に機織りの技術で対抗したために蜘蛛に変えられたアラクネの話など有名な話が数多く収められています。

これらは整然と章立てられているわけではなく物語の登場人物が他の登場人物に語った話であったり、その語られる話の中の登場人物が更に物語った話であったりと全体的に多重構造になっています。もちろん一番外側の語り手は作者オウィディウス本人というわけです。ただこのブログに限って言えばオウィディウスについて語るサクラがその更に外側にいることになりますね。

さて前置きがが長くなってしまいましたが、サルマキス Salmacis とヘルマフロディトス Hermaphrodite の話は全15巻のうちの第4巻の中程にあります。4巻の前半で、デュオニソスの浮かれた祭りを嫌うミュニアスの姉妹たちが、機織りをしながら順番に物語を語っていき、最後に姉妹の一人アルキトエがこの話を語ります。水の女妖精サルマキスが美男子のヘルマフロディトスに恋をして、彼を誘惑し自分の泉に招き入れたあと陵辱しようと合体し一体となり、ついには両性具有となる話です。原文は古典ラテン語ですが、ゆっくり訳していきます。

その前にイメージをふくらませるため画像を見ておきましょう。パリのルーヴル美術館には両性具有者となった後のヘルマフロディトスの彫刻が展示されています。後ろ姿は女性のようにも見えますが、少しフェミニンな男の子にも見えますね。

Borghese Hermaphroditus Louvre Ma231.jpg
By UnknownJastrow (2007), Public Domain, Link

そして体の前面の方に回ってみると、膨らんだ乳房と男性器の両方を見ることができます。全体的にフェミニンではあるのですが、腰のクビレもお尻の肉付きも微妙に男っぽさを残しているように見えます。この彫刻の人物部分は作者も作成年代も不明です。プリニウスの『博物誌』によると、紀元前2世紀には原型となるの銅像が存在していたようで、この大理石の彫刻はそれのコピーだとされています。オウィディウスが作品を書いた西暦元年あたりには、このイメージは確立していたと言えるでしょう。

一方、マットレスの部分だけは後世17世紀に、イタリアの彫刻家ベルニーニ Gian Lorenzo Bernini の手により彫られたようです。ベルニーニというと有名な「聖テレジアの法悦」や、同じく変身物語に登場するモチーフである「アポロンとダフネ」の制作者ですが、こんなところでマットレスだけ彫っていたとは知りませんでした。

BorgheseHermaphroditusLouvre-front.jpg
By AutrataOwn work, CC BY-SA 3.0, Link

そろそろ本文にはいります。まず、ヘルマフロディトスの生い立ちについては以下のようにあります。

Mercurio puerum diva Cythereide natum
naides Idaeis enutrivere sub antris,

メルクリウスとキュテラの女神(アフロディテ)の息子を
妖精ナーイアド達がイダの洞窟の元で育てた。

cuius erat facies, in qua materque paterque
cognosci possent ; nomen quoque traxit ab illis.

そしてその面立ちは母と父の双方同時に
思い起こさせるものであった;その名前もまた彼らから引き継いでいた

メルクリウス、日本でマーキュリーと呼ばれるローマの男神はギリシアの男神ヘルメスと同一視されています。この男神とローマの女神ウェヌス、ギリシアの女神でいうアフロディテが彼の両親ということになります。彼の名前は両親の名前を結合したものです。

Ἑρμαφρόδιτος ⇐ Ἑρμῆς + Ἀφροδίτη
Hermaphróditos ⇐ Hermês + Aphrodítē

ヘルメスは男神の中でも若い神として知られ、アフロディテはその美貌が知られていることから、この息子も相当の美男子であったことは疑う余地がありません。

さて彼は15歳になると生まれ育ったイダの地を離れて旅にでました。様々な土地を巡ったあとでリュキアの地の泉にたどり着きます。リュキア Lycia というのは現在のトルコの南西部、クレタ島を対岸に望む地です。柔らかい草の生えた澄み切った泉には妖精ナーイアドが住んでいました。彼女がサルマキスです。

一旦、ここで出てくる「妖精」について整理しておきましょう。ニュンフ Nympheというのはギリシア・ローマ神話全般に出てくる妖精または精霊です。そのなかで川や水辺に関係するニュンフをナーイアド Naïadeと呼びます。ほとんどのナーイアドは川や泉の神の娘です。

このサルマキスは、狩りの女神ディアナに付き従う他のナーイアド達とは異なり、狩りを好みませんでした。泉で水浴びをしたり、ツゲの櫛で髪をとかしたり、花を集めたりしてのんびり過ごしていました、偶然訪れたヘルマフロディトスを見かけるまでは。

彼女は突然現れた美男子にすぐにでも話しかけたい気持ちを必死に抑え、身支度をしっかり整えます。このあたりすごく女子っぽいです。

Nec tamen ante adiit, etsi properabat adire,
quam se composuit, quam circumspexit amictus
et finxit vultum et meruit formosa videri

しかし彼女は彼に近づく前に、気持ちはそうしようと焦っていたが、
落ち着きをとりもどし、自分の服装を見回し、
顔を整え、自分が美しく見られるように手を尽くした。

tunc sic orsa loqui : ‘puer o dignissime credi
esse deus, seu tu deus es, potes esse Cupido,
sive es mortalis, qui te genuere, beati,
et frater felix, et fortunata profecto,
si qua tibi soror est, et quae dedit ubera nutrix;

そうして彼女はこのように話しだした、「ねえ、高貴なお方、
あなたは神様ではないかしら、もしそうであるならば、クピドかしら、
あるいは人間であるならば、あなたを生んだ両親は幸せね
そして、幸せな兄弟と、幸運をもたらされた姉妹も、
もしあなたにいるのであれば、そしてあなたに乳を与えた乳母も;

これは前振りです。すぐに彼女は核心に迫ります。

sed longe cunctis longeque beatior illa,
si qua tibi sponsa est, si quam dignabere taeda.

でもそんな彼ら全員よりもっともっとはるかに幸せでしょうね、
もしあなたに婚約者がいるのであれば、そしてその彼女が松明にふさわしいとあなたが思うなら

最後の単語 taedaは松の木で作られた松明のことでローマの婚礼の儀式で使われ、結婚式の象徴です。現代でいうと披露宴のケーキカットあたりに相当するかもしれませんね。

haec tibi sive aliqua est, mea sit furtiva voluptas,
seu nulla est, ego sim, thalamumque ineamus eundem.’

もしそのような方がいるのであれば、私の秘密の悦びを叶えて下さい、
でも、もしいなければ、私がなりましょう、私達でその寝室に入るのです。」

浮気か結婚の二択です。このように誘惑されたヘルマフロディトスはまだ愛を知らない少年であったため、ただ顔を赤らめて黙っています。サルマキスが彼の白い首に腕を回し他愛のないキスを迫ろうとしたときに、彼は言います。

‘desinis, an fugio tecumque’ ait ‘ista relinquo ?’

「君のしたいようにさせるか、もしくは逃げだして君とこの地とから離れるのがいいか?」と彼は言った。

この言葉に彼女は震え上がります、逃げられてはたまりませんから。彼女は、この泉を彼に譲り、自分は立ち去ると言ってその場を離れました。ただし隠れて彼を見張り続けます。単なるストーカーです。

彼の方は自分が独りになったと信じ込み、泉のきれいな水に惹かれ、服を脱ぎ水に入りました。しかしこれが引き金となりました。彼の美しい裸をみたサルマキスはもう自分の悦びを後ろ倒しに引き伸ばすことはできず、彼をむりやり奪おうとします。水の精であるサルマキスは、泉の中ではヘルマフロディトスを圧倒する力があります。すぐに彼の体を包み込むように押さえ込みました。

陽の光を透過する彼女の体と白い彼の体が絡み合う姿は、水の入ったガラス瓶の中の象牙や百合のようでした。神々の子である彼もまた抵抗を続け、サルマキスの思い通りにはさせません。彼女はこの欲望を成就するには彼と文字通り一つになればよいと案じます。

‘non tamen effugies. ita, di, iubeatis, et istum
nulla dies a me nec me deducat ab isto.’

「もうあなたは逃げないでしょう。このように、神々よ、叶えて下さい、
彼が私から、私が彼から離れることが一日もないように」

vota suos habuere deos; nam mixta duorum
corpora iunguntur, faciesque inducitur illis
una. velut, si quis conducat cortice ramos,
crescendo iungi pariterque membra tenaci,
nec duo sunt et forma duplex, nec femina dici
nec puer ut possit, neutrumque et utrumque videntur.

これらの祈りは神々を捉えた;というのも二人の体は
混ざり合い繋ぎ止められる、見た目は彼らが一つのものになったように
見える。それはあたかも木の枝々を樹皮でつなぎ合わせたものが
時の経過で結びつき、自身の体のようにくっついてしまうように、
彼らは二人ではなく、二つの姿でもなく、女性とも少年とも
どちらとも言い難く、両方でないとも両方であるとも見える。

興味深いのは合一を果たした二人のうち、最後のセリフを吐くのはヘルマフロディトスであることです。彼は水に写った女性化した自身の姿を見て、同じくもはや男声とはいえない声で言います。

Hermaphroditus ait : ‘nato date munera vesto,
et pater et genetrix, amborum nomen habenti :
quisquis in hos fontes vir venerit, exeat inde
semivir et tactis subito mollescat in undes ! ‘

ヘルマフロディトスは言った:「あなた方の息子に恵みをください、
父よ、そして産みの母よ、二人の名前を引き継ぐ者に:
この泉に入る男はだれであれ、ここから出るときには
半男となり、水に触ることによってすぐ、その体が柔和になるように !」

半男 semivirであるということは、同時に半女 semifeminaであることを意味します。この祈りを聞いたヘルマフロディトスの両親、ヘルメスとアフロディテは両性具有となった息子に心動かされ、サルマキスの泉に神秘的な力を持つようにしたとのことです。

さて普通であれば、興味深いお話でしたね、で終わりそうなところですが、私のようなMtF、それも両性具有者とも言える長い時間を過ごしたものにとってはもう少し深読みをしたくなります。

ヘルマフロディトスもサルマキスも合体する以前にあっても、ある人間の中にいる別々の二つの人格の隠喩といえないでしょうか?

性同一性障害であった私には、拮抗する精神的葛藤、つまり身体意識に近い男性的な精神と高次の自我を実現するため女性化を望む精神との葛藤が先立ち、その対立がたとえ不本意な形であったとしても調停され、一つの意識体に統合される精神作用と同時に、ホルモン治療という形での外面的身体的変化が現れるという物語と映ります。分裂していた精神は治癒という形で統合し、ある意味無垢であった身体は治療という形で変身するのです。

私の中のヘルマフロディトス的な自我も、サルマキス的な自我も幼い頃から存在していたと思います。前者は私を世界中引き摺り回す放浪の旅へと誘い出し、後者は子供を産み育てたいという願望を育て定住へと引き戻しました。二つの自我は私の中で出会い、最終的に、少なくとも現時点ではサルマキス的な自我が勝利を収めているようです。

ヘルマフロディトスがこの先どのような暮らしをしたかは残念ながら語られていません。なぜならミュニアスの姉妹たちは物語が終わると、祭りに参加しなかった廉でデュオニソスによってコウモリに姿を変えられてしまうのです。

もしかしたらこの記事を読んでいる皆さんも、もうすでに、サルマキスの泉に体を浸しているのではないでしょうか? もしそうであれば、泉の力が皆さんにもきっと届くことでしょう。

‘vicimus et meus est’ exclamat nais, et omni
veste procul iacta mediis inmittitur undis,

「私の勝ちよ、彼は私のもの」ナーイアドは叫び、すべての
装いを遠くに脱ぎ捨て、自らも泉の中央に浸かっていく、

— Ovide, Métamorphoses Livre IV, 274-388

SRSから8ヶ月経過

こんにちは、サクラです。

前回の記事からずいぶん時間が経ちましたが元気に暮らしています。最近の生活は仕事、子育て、学習が主なルーチンで、時々プール、ハイキング、温泉などが取り込まれています。中でも温泉の歓びは何物にも変えられません。それぞれ語るととりとめがなくなるので、今日は半年ぶりのSRS後検診の話をします。

つい最近、半年ぶりにSRS後検診を受けました。膣なしの私は排尿の事以外特に注意することがありません。診察室で下着を脱ぎ、仰向けに診察台に寝て術部を先生に見てもらいました。先生の診察によると尿道はしっかり開いているので問題なく、一年後に再度検診を受けることになりました。

先生のところで造膣ありのSRSを受けたMtFの方についての興味深い話を聞きました。彼女は恋人の男性とセックスをしたそうですが、相手には全くの女性だと思われたとのことでした。トランスジェンダーであることを見破れるかどうかは、もちろん本人の素養によるものもあるでしょうが、彼の女性に対する経験値が影響するのでしょう。

先生は「僕ならすぐわかるけどねー」というのですが、それは当然だと思います(笑)

この話を聞いて私は、ふむそのようなセックスの体験もいいものだろうな、と思いました。でも知る限り造膣ありの手術は術後が大変で、彼女はそのような苦労を引き受けたわけですからセックスは当然の恩恵だと思います。一方私は膣なしを選択したので軽い術後であることの恩恵を十分に受けました。いわばトレードオフの関係です。

今のところ、男性との行為に至ることは残念ながらまだないのですが、なにかあればここに書きたいと思います。

SRSから5ヶ月経過

こんにちは、サクラです。

SRSから5ヶ月経過しました。そろそろ「もはや術後ではない」と言えそうな気がしています。

身体感覚についてですが、以前の陰茎があったときの感覚は忘れてしまって、まったく思い出せません。まるで生まれたときから今のままだった気になっています。

中国の歴史書はその書かれた時代より以前の歴史を書き直すように編纂されました。後の時代の人は前の時代の人や出来事をいわば自分の都合の良いように解釈しますが、私も今の身体感覚と性自認で自分の過去を捉え直しています。

男の子だった当時の自分は自然と女の子で置き換えられます。服装が男の子だとしても男装した女の子として都合よく解釈されます。すると同性だったはずの男友達は異性として、異性だったはずの女の子たちは同性として焼き直されます。陰茎にまつわる出来事は曖昧にぼかされます。

第二次性徴前の記憶はこのように比較的置き換えやすいのですが、それ以降の成熟した男性としての行動の置き換えは難しいものがあります。自分が男性だと信じて女性と交際していたことは、今の視点からみると女性同士の同性愛になります。実際に当時つきあった女性のことを思い出しても、その頃抱いていたであろう恋心を今の自分の中に再現するのはとても難しいです。とはいえその女性たちは好ましい人物であって、今知りあったとしたら友人としての関係を持てるかもしれません。

一方で当時友人であった男性も今から思うと魅力的ですし、同性愛として交際したはずの男性も今の視点でみると異性愛になります。こちらは面白いことに恋心を今でも再現しやすいです。

女性が女性として生きているのは実際のところ、現在の自分が女性であるだけでなく、過去にも自分が女性であったことを認識しているからです。であれば、私のように性を越境してきた者も新しい性で暮らすために歴史を編み直す必要があるでしょう。これは現在の自分が女性だという自認と同じかそれ以上に重要なことかもしれません。

あるときふと心の中で目覚めた性自認は自分の心を育て、体を徐々に変化させ、社会と関係を持ち、過去にも広がりを持つようになっていきました。SRSというのは単に体の変更だけでなく、世界を変化させるための力、これは自分がもともと持っていたものなのでしょうが、この力を解放する働きがあったと私は思います。

「覆水盆に返らず」ということわざは一般的には否定的な意味を持ちますが、今の私はこれの肯定的なバージョンであるといえます。