サルマキスとヘルマフロディトス

こんにちは、サクラです。

今日は両性具有の登場する物語について書きます。このブログのタイトルにも関係するお話なので、ちょっと頑張って書きます。

オウィディウスという古代ローマの詩人による『変身物語』という作品があります。原題はMetamorphosesといい日本語でもこれに由来するメタモルフォーゼというカタカナ語をみかけます。昆虫が幼虫から成虫になることを変態といいますが、これは英語でmetamorphosisといいます。遡るとμεταμορφόω「変形する」「擬態する」という古代ギリシア語の動詞にたどり着きます。

この作品には、不死であり不変普遍の神々と、死すべきそして不可逆に形を変え続ける人々、そしてその中間的な半神の妖精たちが数多く登場します。男神アポロンに追われ祈りによって月桂樹に変身したダフネや、水に映る自分に恋をして溺れた挙げ句に水仙となったナルキッソスや、女神に機織りの技術で対抗したために蜘蛛に変えられたアラクネの話など有名な話が数多く収められています。

これらは整然と章立てられているわけではなく物語の登場人物が他の登場人物に語った話であったり、その語られる話の中の登場人物が更に物語った話であったりと全体的に多重構造になっています。もちろん一番外側の語り手は作者オウィディウス本人というわけです。ただこのブログに限って言えばオウィディウスについて語るサクラがその更に外側にいることになりますね。

さて前置きがが長くなってしまいましたが、サルマキス Salmacis とヘルマフロディトス Hermaphrodite の話は全15巻のうちの第4巻の中程にあります。4巻の前半で、デュオニソスの浮かれた祭りを嫌うミュニアスの姉妹たちが、機織りをしながら順番に物語を語っていき、最後に姉妹の一人アルキトエがこの話を語ります。水の女妖精サルマキスが美男子のヘルマフロディトスに恋をして、彼を誘惑し自分の泉に招き入れたあと陵辱しようと合体し一体となり、ついには両性具有となる話です。原文は古典ラテン語ですが、ゆっくり訳していきます。

その前にイメージをふくらませるため画像を見ておきましょう。パリのルーヴル美術館には両性具有者となった後のヘルマフロディトスの彫刻が展示されています。後ろ姿は女性のようにも見えますが、少しフェミニンな男の子にも見えますね。

Borghese Hermaphroditus Louvre Ma231.jpg
By UnknownJastrow (2007), Public Domain, Link

そして体の前面の方に回ってみると、膨らんだ乳房と男性器の両方を見ることができます。全体的にフェミニンではあるのですが、腰のクビレもお尻の肉付きも微妙に男っぽさを残しているように見えます。この彫刻の人物部分は作者も作成年代も不明です。プリニウスの『博物誌』によると、紀元前2世紀には原型となるの銅像が存在していたようで、この大理石の彫刻はそれのコピーだとされています。オウィディウスが作品を書いた西暦元年あたりには、このイメージは確立していたと言えるでしょう。

一方、マットレスの部分だけは後世17世紀に、イタリアの彫刻家ベルニーニ Gian Lorenzo Bernini の手により彫られたようです。ベルニーニというと有名な「聖テレジアの法悦」や、同じく変身物語に登場するモチーフである「アポロンとダフネ」の制作者ですが、こんなところでマットレスだけ彫っていたとは知りませんでした。

BorgheseHermaphroditusLouvre-front.jpg
By AutrataOwn work, CC BY-SA 3.0, Link

そろそろ本文にはいります。まず、ヘルマフロディトスの生い立ちについては以下のようにあります。

Mercurio puerum diva Cythereide natum
naides Idaeis enutrivere sub antris,

メルクリウスとキュテラの女神(アフロディテ)の息子を
妖精ナーイアド達がイダの洞窟の元で育てた。

cuius erat facies, in qua materque paterque
cognosci possent ; nomen quoque traxit ab illis.

そしてその面立ちは母と父の双方同時に
思い起こさせるものであった;その名前もまた彼らから引き継いでいた

メルクリウス、日本でマーキュリーと呼ばれるローマの男神はギリシアの男神ヘルメスと同一視されています。この男神とローマの女神ウェヌス、ギリシアの女神でいうアフロディテが彼の両親ということになります。彼の名前は両親の名前を結合したものです。

Ἑρμαφρόδιτος ⇐ Ἑρμῆς + Ἀφροδίτη
Hermaphróditos ⇐ Hermês + Aphrodítē

ヘルメスは男神の中でも若い神として知られ、アフロディテはその美貌が知られていることから、この息子も相当の美男子であったことは疑う余地がありません。

さて彼は15歳になると生まれ育ったイダの地を離れて旅にでました。様々な土地を巡ったあとでリュキアの地の泉にたどり着きます。リュキア Lycia というのは現在のトルコの南西部、クレタ島を対岸に望む地です。柔らかい草の生えた澄み切った泉には妖精ナーイアドが住んでいました。彼女がサルマキスです。

一旦、ここで出てくる「妖精」について整理しておきましょう。ニュンフ Nympheというのはギリシア・ローマ神話全般に出てくる妖精または精霊です。そのなかで川や水辺に関係するニュンフをナーイアド Naïadeと呼びます。ほとんどのナーイアドは川や泉の神の娘です。

このサルマキスは、狩りの女神ディアナに付き従う他のナーイアド達とは異なり、狩りを好みませんでした。泉で水浴びをしたり、ツゲの櫛で髪をとかしたり、花を集めたりしてのんびり過ごしていました、偶然訪れたヘルマフロディトスを見かけるまでは。

彼女は突然現れた美男子にすぐにでも話しかけたい気持ちを必死に抑え、身支度をしっかり整えます。このあたりすごく女子っぽいです。

Nec tamen ante adiit, etsi properabat adire,
quam se composuit, quam circumspexit amictus
et finxit vultum et meruit formosa videri

しかし彼女は彼に近づく前に、気持ちはそうしようと焦っていたが、
落ち着きをとりもどし、自分の服装を見回し、
顔を整え、自分が美しく見られるように手を尽くした。

tunc sic orsa loqui : ‘puer o dignissime credi
esse deus, seu tu deus es, potes esse Cupido,
sive es mortalis, qui te genuere, beati,
et frater felix, et fortunata profecto,
si qua tibi soror est, et quae dedit ubera nutrix;

そうして彼女はこのように話しだした、「ねえ、高貴なお方、
あなたは神様ではないかしら、もしそうであるならば、クピドかしら、
あるいは人間であるならば、あなたを生んだ両親は幸せね
そして、幸せな兄弟と、幸運をもたらされた姉妹も、
もしあなたにいるのであれば、そしてあなたに乳を与えた乳母も;

これは前振りです。すぐに彼女は核心に迫ります。

sed longe cunctis longeque beatior illa,
si qua tibi sponsa est, si quam dignabere taeda.

でもそんな彼ら全員よりもっともっとはるかに幸せでしょうね、
もしあなたに婚約者がいるのであれば、そしてその彼女が松明にふさわしいとあなたが思うなら

最後の単語 taedaは松の木で作られた松明のことでローマの婚礼の儀式で使われ、結婚式の象徴です。現代でいうと披露宴のケーキカットあたりに相当するかもしれませんね。

haec tibi sive aliqua est, mea sit furtiva voluptas,
seu nulla est, ego sim, thalamumque ineamus eundem.’

もしそのような方がいるのであれば、私の秘密の悦びを叶えて下さい、
でも、もしいなければ、私がなりましょう、私達でその寝室に入るのです。」

浮気か結婚の二択です。このように誘惑されたヘルマフロディトスはまだ愛を知らない少年であったため、ただ顔を赤らめて黙っています。サルマキスが彼の白い首に腕を回し他愛のないキスを迫ろうとしたときに、彼は言います。

‘desinis, an fugio tecumque’ ait ‘ista relinquo ?’

「君のしたいようにさせるか、もしくは逃げだして君とこの地とから離れるのがいいか?」と彼は言った。

この言葉に彼女は震え上がります、逃げられてはたまりませんから。彼女は、この泉を彼に譲り、自分は立ち去ると言ってその場を離れました。ただし隠れて彼を見張り続けます。単なるストーカーです。

彼の方は自分が独りになったと信じ込み、泉のきれいな水に惹かれ、服を脱ぎ水に入りました。しかしこれが引き金となりました。彼の美しい裸をみたサルマキスはもう自分の悦びを後ろ倒しに引き伸ばすことはできず、彼をむりやり奪おうとします。水の精であるサルマキスは、泉の中ではヘルマフロディトスを圧倒する力があります。すぐに彼の体を包み込むように押さえ込みました。

陽の光を透過する彼女の体と白い彼の体が絡み合う姿は、水の入ったガラス瓶の中の象牙や百合のようでした。神々の子である彼もまた抵抗を続け、サルマキスの思い通りにはさせません。彼女はこの欲望を成就するには彼と文字通り一つになればよいと案じます。

‘non tamen effugies. ita, di, iubeatis, et istum
nulla dies a me nec me deducat ab isto.’

「もうあなたは逃げないでしょう。このように、神々よ、叶えて下さい、
彼が私から、私が彼から離れることが一日もないように」

vota suos habuere deos; nam mixta duorum
corpora iunguntur, faciesque inducitur illis
una. velut, si quis conducat cortice ramos,
crescendo iungi pariterque membra tenaci,
nec duo sunt et forma duplex, nec femina dici
nec puer ut possit, neutrumque et utrumque videntur.

これらの祈りは神々を捉えた;というのも二人の体は
混ざり合い繋ぎ止められる、見た目は彼らが一つのものになったように
見える。それはあたかも木の枝々を樹皮でつなぎ合わせたものが
時の経過で結びつき、自身の体のようにくっついてしまうように、
彼らは二人ではなく、二つの姿でもなく、女性とも少年とも
どちらとも言い難く、両方でないとも両方であるとも見える。

興味深いのは合一を果たした二人のうち、最後のセリフを吐くのはヘルマフロディトスであることです。彼は水に写った女性化した自身の姿を見て、同じくもはや男声とはいえない声で言います。

Hermaphroditus ait : ‘nato date munera vesto,
et pater et genetrix, amborum nomen habenti :
quisquis in hos fontes vir venerit, exeat inde
semivir et tactis subito mollescat in undes ! ‘

ヘルマフロディトスは言った:「あなた方の息子に恵みをください、
父よ、そして産みの母よ、二人の名前を引き継ぐ者に:
この泉に入る男はだれであれ、ここから出るときには
半男となり、水に触ることによってすぐ、その体が柔和になるように !」

半男 semivirであるということは、同時に半女 semifeminaであることを意味します。この祈りを聞いたヘルマフロディトスの両親、ヘルメスとアフロディテは両性具有となった息子に心動かされ、サルマキスの泉に神秘的な力を持つようにしたとのことです。

さて普通であれば、興味深いお話でしたね、で終わりそうなところですが、私のようなMtF、それも両性具有者とも言える長い時間を過ごしたものにとってはもう少し深読みをしたくなります。

ヘルマフロディトスもサルマキスも合体する以前にあっても、ある人間の中にいる別々の二つの人格の隠喩といえないでしょうか?

性同一性障害であった私には、拮抗する精神的葛藤、つまり身体意識に近い男性的な精神と高次の自我を実現するため女性化を望む精神との葛藤が先立ち、その対立がたとえ不本意な形であったとしても調停され、一つの意識体に統合される精神作用と同時に、ホルモン治療という形での外面的身体的変化が現れるという物語と映ります。分裂していた精神は治癒という形で統合し、ある意味無垢であった身体は治療という形で変身するのです。

私の中のヘルマフロディトス的な自我も、サルマキス的な自我も幼い頃から存在していたと思います。前者は私を世界中引き摺り回す放浪の旅へと誘い出し、後者は子供を産み育てたいという願望を育て定住へと引き戻しました。二つの自我は私の中で出会い、最終的に、少なくとも現時点ではサルマキス的な自我が勝利を収めているようです。

ヘルマフロディトスがこの先どのような暮らしをしたかは残念ながら語られていません。なぜならミュニアスの姉妹たちは物語が終わると、祭りに参加しなかった廉でデュオニソスによってコウモリに姿を変えられてしまうのです。

もしかしたらこの記事を読んでいる皆さんも、もうすでに、サルマキスの泉に体を浸しているのではないでしょうか? もしそうであれば、泉の力が皆さんにもきっと届くことでしょう。

‘vicimus et meus est’ exclamat nais, et omni
veste procul iacta mediis inmittitur undis,

「私の勝ちよ、彼は私のもの」ナーイアドは叫び、すべての
装いを遠くに脱ぎ捨て、自らも泉の中央に浸かっていく、

— Ovide, Métamorphoses Livre IV, 274-388

「サルマキスとヘルマフロディトス」への2件の返信

  1. cessavit deinde ars se rursus olympiade CLVI (156-153 av.J.-C.) revixit, cum fuere longe quidem infra praedictos, probati tamen, … Polycles Athenaeus, …

    — Pline l’Ancien, Histoire naturelle, livre XXXIV, XIX 52

    Polycles Hermaphroditum nobilem fecit,

    — Pline l’Ancien, Histoire naturelle, livre XXXIV, XIX 80

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