不気味の谷の住人たち

こんにちは、サクラです。

身の回りではいろいろ生活の変化もあるのですが、今日は世の中の動きで思うことをお話します。

皆さんは「不気味の谷」という言葉を知っていますか? ロボット工学で主張される概念で、ロボットが人間に似てくるとだんだん好感が増してくるのですが、ある時点で急に嫌悪感が強くなるという心理現象を指します。これが、さらに人間に似てくるともう人間と見分けがつかなくなりその嫌悪感は解消されるというものです。以下の人間型ロボットの画像を御覧ください。

File:Repliee Q2.jpg
By BradBeattie at the English-language Wikipedia, CC BY-SA 3.0, Link

この人間型ロボットに対して多くの人はなんとも表現しがたい強い違和感を持つのではないでしょうか? 一方以下のロボットたちはどうでしょう?

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RuinDig投稿者自身による著作物, CC 表示 4.0, リンクによる

人間には似ていない形態でありながら、かわいいと思わせる外見を持っています。

不気味の谷については以下のようなグラフで説明されています。最初のロボットは「人間のようで人間でないもの」として不気味の谷の底に位置しているため周囲から違和感あるいは嫌悪感を抱かれる一方で、二番目のロボットたちはこの谷より左側に位置しているため「あきらかに人間ではないが人間の好む外見を持ち好ましい振る舞いをするもの」として好感を持たれることになります。

 

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Matthew Trump – File:Wpdms fh uncanny valley 3.jpg, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

 

さて、長い前置きとなってしまいました。MtFである私は性移行を実行するに際して「埋没」という目標を持っていました。MtFにとっての埋没とは「男性であった自分が女性として社会に認められること」ではなく、「自分の性についての疑念を周囲に抱かれることなく、トランスジェンダーであることも意識されずに、その他大勢の中のひとりの女性として生活を送ること」です。これはシスジェンダーの人々の世界と近いものになります。私は性自認を意識しないシスジェンダーとして長い期間を生きてきたため、性移行の後にも同様の生活を望んだのでした。このため「埋没」は私の目指す動機となりました。

私は、性移行をコスモポリタニズムとか越境と表現しています。生まれた土地でない場所で心静かに暮らすにはその土地の流儀に従うことが大切であると考えました。これは埋没につながる考え方です。

トランスジェンダー的コスモポリタニズム

越境者の宿命

私は多くのトランスジェンダーが(実行可能かどうかは別として)埋没を目指しているものと単純に決め込んでいました。しかしながら最近の世の中の様子をみると、性移行の途中の段階をそのまま受け入れてほしい、受け入れるべきだ(つまり埋没する必要がない)という主張や運動を見るようになりました。これは多様性という魔法の言葉で彩られた素晴らしい世界が実現されるかのような印象をあたえていますが、一部の(おそらくは多くの)人々はこのような世界を切望してはいないと感じています。実際私もそれほど望んでいません。

なぜこの運動は、これに関わりのない人々に違和感あるいは嫌悪感を与えてしまうのでしょうか?

それは性移行の領域にも不気味の谷が存在するためだと私は思います。もちろんロボット工学の原義通りの不気味の谷と同様に、すべての人がこれを認識するというわけではありません。

上記のグラフMtFに読み替えするならば横軸は「女性への類似度」、縦軸は「生物学的男性への感情的反応」と読み替えるべきでしょう。女性に好感を持たれる男性はグラフの不気味の谷の左側で感情的反応の高い位置にいるはずです。これは「あきらかに女性ではないが女性の好む外見を持ち好ましい振る舞いをする人」として、上記の2番目の画像のロボットたちと同じ位置にいると言えます。この谷の左側はシス男性(性自認が男性である生物学的男性)の領域と言えます。

一方MtFの性移行はこの谷を超えて右側に抜ける行為と捉えることができます。この谷では「女性のようで女性でない人」と意識され最初の画像のロボット「人間のようで人間でないもの」と同様の違和感を持たれることがあるでしょう。私はこれに耐えられず、素早く性移行を完了することを目指したのです。この谷の右側は「埋没」の世界です。

しかし、この谷底にとどまる生き方もあります。谷を右側に抜けたくても様々な事情からできない方もいるでしょうし、一度は右側に抜けたとしても状況によってはこの谷に再び足を踏み入れる人もいるでしょう。それは選択肢として認めるのが良いと思います。

とはいえ、不気味と感じるものを受け入れるのは多くの人にとって困難であるか多大な修練を必要とすることです。つまり人が「人間のようで人間でないもの」を人間として認めようとするときと同様に、女性が「女性のようで女性でない人」を同性と認めるのは困難であるか多大な修練を必要とするである可能性が高いのです。もう一度最初の画像のロボットの写真をみて、これを人間として受け入れられるかをじっくり考えてみてください。

人間社会は理性的であるべきですが、一方で心の奥底から沸き起こる人々の感情を無視することは社会に不安と分断をもたらします。不気味の谷に住む人々は、本当はそのまま認められるのが理想ですが、不気味さを完全に払拭するのは無理ではないかと思われます。そして不気味さを存在しないもののように無視してしまうと様々な不幸が生じることになるでしょう。谷の人々の存在が社会で許容されるのと同時に、この不気味さも共有されるとよい思います。なぜなら、生物学的性が今のようなあり方で存在するかぎりこの谷も存在しつづけ、私達は無関係でいられないと思われるからです。

 

越境者の宿命

こんにちは、サクラです。

随分間が空いてしまいましたが、今回は性別変更に手術要件が必要かということについて私見を述べます。

改めて性別変更に必要な条件を引用します。

  1. 十八歳以上であること。
  2. 現に婚姻をしていないこと。
  3. 現に未成年の子がいないこと。
  4. 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
  5. その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

— 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律、第三条

出典

私が性別変更するにあたって、長い間障害となっていたのは、3番目の「現に未成年の子がいないこと」でした。小さい子供がいた私にとっては10数年も立ち止まっていなければなりませんでした。ここが争点になりにくいのは一度「(未成年成年に関わらず)子がいないこと」という厳しい条件から緩和されたからかもしれません。

一方で私にとっては4番目の「生殖腺がないこと」については、何も問題意識を持っていませんでした。というのも実子を設けたあとの私に男性性の忌避の兆候が顕著に現れるようになったためです。もう生殖活動は十分行ったので、強い衝動を誘発する男性性を保持する理由がなくなっていました。私は最近の判例とは逆になるべく早期に「生殖腺の機能を永続的に欠く」状態になることを望んでいたものでした。もちろん今でもそのことに心地よさを感じています。

また5番目の「外観を備えていること」は私には必須に思えています。外見とくに性に関わる見え方については人類以前からの積み重ねがあるので、(人類の存在する時間からすればとても新しい概念である)法律で制御できることではないように思われるのです。

以前、トランスジェンダーは「性の越境者」であることを話しました。

SRSで後悔しないために

トランスジェンダー的コスモポリタニズム

 

越境者とは自分の生まれた土地とは違う土地で生きる人のことです。越境先の人と越境者とが調和して生きるのは簡単ではありません。客観的に見ると越境者のほうが相手に合わせることが容易といえます。というのも越境者は自分の生まれた場所と今生きている場所の両方を知ってるからです。これは越境をしたことのない人との決定的な違いです。

越境者は越境先の文化と自分の持つ文化との融和を図る必要があります。これは越境者自身の身の安全のためでもあります。ただし同郷の越境者が多数である場合には越境先の文化を数の力で変更することもありえます。埼玉のクルド人と地元の人との軋轢やイスラム教徒の土葬の問題などは、越境者を迎える土地で起こる現象としてさほど珍しいこととは言えないでしょう。実際のところ融和はとてもむずかしいのです。

アンデルセンの人魚姫という有名な話があります。人間の王子に恋をした人魚姫はその恋を叶えるために越境を試みます。そのために彼女がしたことは自分の大事なもの(彼女の美しい声)を引き換えに人間の姿を手にいれることでした。おそらくここに違和感を感じる読者は多くはないでしょう。王子の愛を手に入れるにあたり、人魚姫が人間の姿になることは必須といえます。下半身が魚の形をしている相手を伴侶とすることは、仮に王子がよいとしても、周囲が許さないでしょう。人魚姫はこのような人の世の機微を知っていたため、自身に破壊的ともいえる行動を起こしたのです。これは関連する多くの人を害することを回避し、自分の高次の望みを達成することだと言えます。

人魚姫が自身の姿を変えずに王子の愛を得ようとしたら、どうなったでしょうか? 人間の王や実力者に訴えて、「下半身が魚であってもこれを人間と認める」という法律を作ってもらい、人魚の姿のまま人間界に住み着くのでしょうか? そこで王子の愛を得ることができるのでしょうか? 自分の望むものが得られれば、他人に不都合が生じても最良の結果といえるのでしょうか?

これでは物語としてはとても出来の悪いものになるでしょう。

多くの人は自分の物語を紡ぎながら生きています。物語は人の心を動かす力を持っています。一方で法律は同じ言葉を使っていながら心ではなく行動を変えようとします。自分の物語と法律の融和が難しいときには、人々はその法律を軽んじたり、その法律で利益を得る人々に敵意を向けることがあります。

現代のような多様な社会では、ほとんどの人が何らかの越境者である可能性があります。そこでは望むと望まざるに関わらず融和が求められます。そして融和を図るのであれば他人が変わることを望む以前に自分が変わる努力をする必要があります。

話を最初の手術要件に戻します。

可能であれば手術はしたほうが良いと思います。これは5番目の「外観を備えていること」を満たすためという意味合いが強いです。経済的な理由や健康上の理由でこれが出来ない場合もあるでしょう。とはいえこれは周囲の理解のためでもある以上に性別変更を望む人の生活の質の向上につながると思えます。

私自身の経験からすると、もし外見を備えないのであれば性別変更には踏み出さないほうが良いと思います。外見が女性になりつつあった一方で、戸籍は男性で日常生活に不都合を抱えていた経験からこのように言っています。外見と身分の一致というのは精神の安定につながる大事なものだと思います。そして人生はあまり複雑にしないほうが良いのです。

将来的に移行する先の性での生殖能力(FtMが女性に妊娠させることができる能力、MtFが妊娠することができる能力)を獲得できるような手術(あるいは何らかの処置)が開発されればこの4番目の条件は過去のものとなるでしょう。多分にSF的ですが、その意味では過渡期の条件と言えるでしょう。

ただそれが可能だとしてもなお、越境前の性機能を保持したいと思うのでしょうか? その場合性別の変更とは一体なにを意味することになるのでしょうか?

はじめての乳がん検診

こんにちは、サクラです。

今日は生まれて初めて乳がん検診を受けた話をします。

私と同じ年代のシスジェンダー女性であれば、マンモグラフィーによる乳がん検診は珍しいものではないでしょう。しかし、私は去年まで戸籍上の男性であったため、乳がん検診を受ける機会がありませんでした。もちろん自費で受けることはできるのですが、戸籍変更も視野に入っていたため敢えてそこまで踏み込みませんでした。

昨年は男性最後の健康診断であったため、最後の前立腺がんの検診を受けたのでした。異常はありませんでした。

最後の健康診断

今年の検診の案内は、当然ながら女性としての検診の案内でした。子宮頸がん検診は不要なので申し込みませんでしたが、乳がん検診は申し込みました。乳がんは罹患すると死亡率も高く、乳房の切除もすることになるのでなるべく回避したいと思っていました。特にトランスジェンダーがホルモン療法で胸が大きくなった場合の乳がんについての情報はほとんどないので余計に心配だったのでした。

さて、当日検診センターにいくと、昨年にも担当してもらった看護師さんが問診してくれました。看護師さんは豊胸の有無を尋ねました。豊胸手術をしている場合はシスジェンダー女性であってもマンモグラフィーによる乳がん検診は受かられないのです。

私はホルモン療法で膨らんだ以外には何もしていないということを伝えたら、当てが外れたという表情をしていました。トランスジェンダー男性の多くが乳房切除をする例から考えれば、トランスジェンダー女性が豊胸手術をしているだろうという類推はそれほど的外れとは言えないでしょう。

実際のところ現在のわたしはBカップ程度の胸があります。15年間のホルモン療法の結果です。もっと大きほうが良いのではないかという考えもあるかもしれません。しかし私は女性として生活することを臨んでいただけで、女性に見られるという要件だけであれば今の胸の程度で十分事足りるのです。

マンモグラフィーですが、上半身裸になり乳房を片方ずつ垂直方向に挟んで計測します。ギュッと締められるので多少は痛いのですが、物珍しさのほうが勝ちました。単純に初めての体験だったので楽しかったといえます。あとはなにも問題ないことを願うばかりです。

看護師さんたちは去年のカルテを参照しているので私が今年から女性になっていることを知っていますが、みなさんよく対応してくれました。どうもありがとうございます。

SRSから60ヶ月経過

こんにちは、サクラです。

今月でSRSから60ヶ月、ちょうど5年が経過しました。近況をお話します。

この1年で起こった一番の出来事としては、戸籍の性別が変更されたことでしょう。これによって私の性別移行は完了したことになります。

トランスジェンダーは一般に「性同一性や性表現が、出生時に割り当てられた性別と一致しない人を指す包括的な用語である。」(Wikipediaより)とされていますが、最近の私はこのことにほとんど注意を向けることがありません。「かつての私にとってはトランスジェンダーであることは社会生活において重要であったが、今は無視できるほどささいものになっている」と言えます。transという言葉は「移行」を意味するため、移行を終えた今の私は「限りなくトランスジェンダーでない者」「限りなくシスジェンダーに近い者」になっています。

最近LGBT法と言われる法律が成立し、トランスジェンダーの扱いをどうするのかと言う議論がされていますが、私は距離を置くことしかできません。もちろん性別移行中のトランスジェンダーの方の扱いが改善されることは喜ばしいことである一方、女性として生活している私がトランスジェンダーという過去の自分を不必要に周囲に暴かれ生活を乱されることは喜ばしくありません。

例えばある国に帰化した人が、あたかもその国で生まれた人のように生活しているとします。そこに外国人の扱いを改善するための法律が半ば強制的に半ば過剰に作られたとしたらどうなるでしょうか。自分と同じような出自をもつ外国人の扱いの改善も望みたいところですが、今深い関係のある周囲の人々が持つ「自国民より外国人が過剰に優遇されること」に対する危機感も無視することはできません。

今の私にはトランスジェンダー・シスジェンダーという区別より、男性・女性という区別にまつわる話題が圧倒的に多いため、トランスジェンダーに対してというより女性に対して多くの共感を持ちます。LGBT法の議論が大きな混乱を招くことなく早く納得できるところに落ち着いてほしいと願っています。

性別変更その後

こんにちは、サクラです。

前回性別変更の審判が出た話をしましたが、その後の話をします。

戸籍の変更に2週間ほどかかると聞いていましたが、実際に2週間ほど経っても家庭裁判所から連絡がなかったので、電話で問い合わせました。担当の方によると、ちょうど手続が終わったところだとのことでした。このお知らせを以て家庭裁判所とのやり取りは終わりになります。

家庭裁判所の申立を通して、少し進みが遅いのではないかと思ったら、連絡することが必要だと思いました。連絡によってもしかしたら、止まっていたものが進んだのではないかとおもうフシもありました。

この後以下のような考慮が必要になるでしょう。漏れがあるかもしれないのですが気づくところを挙げておきます。私は名前の変更を前に済ましていますが、名の変更も同時にする場合にはすることの範囲がもっと広がると思われます。

住民票

戸籍が変更されると戸籍のある役所から住民票のある役所に連絡が行き、その記載内容が変更されるとのことでした。ここについては私は待つだけになります。

健康保険証

私は国民健康保険に加入しているためか、住民票の変更に合わせて役所のほうから新しい健康保険証を送ってくれました。性別だけ変わっていました。社会保険だともしかしたらなにか手続が必要かもしれません。

運転免許証

変更された住民票を持って近くの警察署で届け出をしました。前に運転中に検問で止められ、免許証を調べられ「あなた男性ですね」といわれたことがありました。記載はされていないけれど、当然ながら性別のデータは持っているのです。

パスポート

私はちょうど有効期限が切れていたのでどちらにしても作り直しとなりました。通常の発行と同じく戸籍謄本が必要となります。

有効期限内のパスポートがある場合については問い合わせてみないとわかりませんが変更がわかる戸籍謄本は必要でしょう。

生命保険

保険会社によって変更の方法やその面倒さが違うようです。自分が被保険者の場合で届けていないままだと保険金を受け取るときにトラブルになる可能性があるため、早めに届け出たほうが良いと思われます。また、性別の変更によって保険料率の変わる保険もあるようです。

銀行など金融機関

金融機関によって異なるでしょうが、私の使っている銀行では個人口座の性別変更には戸籍謄本が必要と言われました。原本を持ってコピーをとって返却するとのことでした。最近は窓口の予約が必要であったりするので、複数金融機関の口座をもっていると面倒です。

証券会社

私の使っている証券会社では、住民票のコピーを添付すればOKと言われました。

クレジットカード

最近作ったカードは最初から女性で作っていたので、特に変更はありませんでした。

不動産・法人登記

法人登記には性別の項目はありませんでした。以前名前を変更したときには登記内容の変更を行った記憶があります。不動産も同様と思われます。

健康診断

私の住んでいる自治体では毎年健康診断とがん検診をしてくれます。今年の4月に送られてきた検診票は男性で作成されているので、役所に問い合わせて女性として作り直してもらいました。

それに先立ち電話で「女性になったので乳がん検診は受けられますか?」と聞いたところ、折返しで「厚生労働省の基準で生物学的女性でないと受けられません」と言われました。子宮頸がん検診についてであればその回答は納得いくのですが、乳がんは男性でもかかる病気です。

「役所では住民票で性別を管理していますが、生物学的性も管理しているのですか?」「戸籍上男性となっている生物学的女性にも乳がん検診の案内をだしているのですか?」「私が生物学的男性であるのであれば今後女性だとしても前立腺がん検診は受けられますか?」などと聞いてみましたが、調べないとわからないと言われたのでここで会話はやめにしました。

自治体の健康増進の係で住民全員の生物学的性を把握しているとは思えませんし、折返しの電話でないと答えられないというのは今までこのようなケースが業務フローになるほど多くなかったことを示しています。来年度になったらここでの会話と関係なく、普通に乳がんと子宮がんの検診票を送ってくる可能性もあります。

今年度のはじめには、私は男性だったのですから、無理をいっても仕方がありません。来年度にどうなるか待つことにします。

まとめ

SRSのときには体に変更があったため自分にとってのインパクトは大きかった一方で、戸籍上の性別の記載変更はこれより随分小さいのではないかと思っていました。しかし実際に健康保険証に女と記載されているのをみるとなんとも言えない感慨に包まれます。

この感慨を言葉にするなら「もうこのことは気にしなくて良いんだ」となるでしょう。今まで多くの状況で男と記載されている身分証と自分の見かけと世の中との妥協点を常に探しながら暮らしてきたのだとつくづく思い返されるのです。