越境者の宿命

こんにちは、サクラです。

随分間が空いてしまいましたが、今回は性別変更に手術要件が必要かということについて私見を述べます。

改めて性別変更に必要な条件を引用します。

  1. 十八歳以上であること。
  2. 現に婚姻をしていないこと。
  3. 現に未成年の子がいないこと。
  4. 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
  5. その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

— 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律、第三条

出典

私が性別変更するにあたって、長い間障害となっていたのは、3番目の「現に未成年の子がいないこと」でした。小さい子供がいた私にとっては10数年も立ち止まっていなければなりませんでした。ここが争点になりにくいのは一度「(未成年成年に関わらず)子がいないこと」という厳しい条件から緩和されたからかもしれません。

一方で私にとっては4番目の「生殖腺がないこと」については、何も問題意識を持っていませんでした。というのも実子を設けたあとの私に男性性の忌避の兆候が顕著に現れるようになったためです。もう生殖活動は十分行ったので、強い衝動を誘発する男性性を保持する理由がなくなっていました。私は最近の判例とは逆になるべく早期に「生殖腺の機能を永続的に欠く」状態になることを望んでいたものでした。もちろん今でもそのことに心地よさを感じています。

また5番目の「外観を備えていること」は私には必須に思えています。外見とくに性に関わる見え方については人類以前からの積み重ねがあるので、(人類の存在する時間からすればとても新しい概念である)法律で制御できることではないように思われるのです。

以前、トランスジェンダーは「性の越境者」であることを話しました。

SRSで後悔しないために

トランスジェンダー的コスモポリタニズム

 

越境者とは自分の生まれた土地とは違う土地で生きる人のことです。越境先の人と越境者とが調和して生きるのは簡単ではありません。客観的に見ると越境者のほうが相手に合わせることが容易といえます。というのも越境者は自分の生まれた場所と今生きている場所の両方を知ってるからです。これは越境をしたことのない人との決定的な違いです。

越境者は越境先の文化と自分の持つ文化との融和を図る必要があります。これは越境者自身の身の安全のためでもあります。ただし同郷の越境者が多数である場合には越境先の文化を数の力で変更することもありえます。埼玉のクルド人と地元の人との軋轢やイスラム教徒の土葬の問題などは、越境者を迎える土地で起こる現象としてさほど珍しいこととは言えないでしょう。実際のところ融和はとてもむずかしいのです。

アンデルセンの人魚姫という有名な話があります。人間の王子に恋をした人魚姫はその恋を叶えるために越境を試みます。そのために彼女がしたことは自分の大事なもの(彼女の美しい声)を引き換えに人間の姿を手にいれることでした。おそらくここに違和感を感じる読者は多くはないでしょう。王子の愛を手に入れるにあたり、人魚姫が人間の姿になることは必須といえます。下半身が魚の形をしている相手を伴侶とすることは、仮に王子がよいとしても、周囲が許さないでしょう。人魚姫はこのような人の世の機微を知っていたため、自身に破壊的ともいえる行動を起こしたのです。これは関連する多くの人を害することを回避し、自分の高次の望みを達成することだと言えます。

人魚姫が自身の姿を変えずに王子の愛を得ようとしたら、どうなったでしょうか? 人間の王や実力者に訴えて、「下半身が魚であってもこれを人間と認める」という法律を作ってもらい、人魚の姿のまま人間界に住み着くのでしょうか? そこで王子の愛を得ることができるのでしょうか? 自分の望むものが得られれば、他人に不都合が生じても最良の結果といえるのでしょうか?

これでは物語としてはとても出来の悪いものになるでしょう。

多くの人は自分の物語を紡ぎながら生きています。物語は人の心を動かす力を持っています。一方で法律は同じ言葉を使っていながら心ではなく行動を変えようとします。自分の物語と法律の融和が難しいときには、人々はその法律を軽んじたり、その法律で利益を得る人々に敵意を向けることがあります。

現代のような多様な社会では、ほとんどの人が何らかの越境者である可能性があります。そこでは望むと望まざるに関わらず融和が求められます。そして融和を図るのであれば他人が変わることを望む以前に自分が変わる努力をする必要があります。

話を最初の手術要件に戻します。

可能であれば手術はしたほうが良いと思います。これは5番目の「外観を備えていること」を満たすためという意味合いが強いです。経済的な理由や健康上の理由でこれが出来ない場合もあるでしょう。とはいえこれは周囲の理解のためでもある以上に性別変更を望む人の生活の質の向上につながると思えます。

私自身の経験からすると、もし外見を備えないのであれば性別変更には踏み出さないほうが良いと思います。外見が女性になりつつあった一方で、戸籍は男性で日常生活に不都合を抱えていた経験からこのように言っています。外見と身分の一致というのは精神の安定につながる大事なものだと思います。そして人生はあまり複雑にしないほうが良いのです。

将来的に移行する先の性での生殖能力(FtMが女性に妊娠させることができる能力、MtFが妊娠することができる能力)を獲得できるような手術(あるいは何らかの処置)が開発されればこの4番目の条件は過去のものとなるでしょう。多分にSF的ですが、その意味では過渡期の条件と言えるでしょう。

ただそれが可能だとしてもなお、越境前の性機能を保持したいと思うのでしょうか? その場合性別の変更とは一体なにを意味することになるのでしょうか?

「越境者の宿命」への2件の返信

    • 明笑さん

      ご無沙汰しております。お元気でしょうか?

      外見を伴わず性別変更できることが、まるですべてのトランスジェンダーの要望であるかのように各所で語られていることに異様な違和感を感じています。

      ブログ拝見させていただきます。

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