女神キュベレーとアッティスの去勢

こんにちは、サクラです。

今日はそれに帰依する信者が去勢するという古代の宗教について、その伝説の部分をお話します。

前回の話の中で Κυβέλη キュベレーという女神について少しだけ言及しました。この女神に帰依する人は自らを去勢して信者となっていたと言われています。

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By ChrisO投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

奴隷や、戦争に負けた王侯貴族が去勢されるということは古代では珍しくありませんでした。通常去勢される側の者は、強制的にされるわけで、それを望んだりはしないでしょう。古代の医療技術では障害や死亡のリスクがありますし、性自認が男性である生物学的男性、つまりシスジェンダー男性であればそもそも男性器が除去されるということは是が非でも回避したいことです。

しかしキュベレーの信者たちは、それらの場合とは異なり、進んで自らを去勢し、女神に習い女装し、女性として振る舞っていたのでした。これはこの女神の説話に由来しています。

キュベレーについては紀元2世紀のパウサニアスという旅行者の書いた『ギリシア案内記』Ἑλλάδος περιήγησις の第7巻『アカイアの巻』の17章にその記述があります。キュベレーはここでは Ἄγδιστις アグディスティスという別名で登場します。これはプリュギア(あるいはフリギア、現在のトルコの中西部に相当)での呼び名だと言われています。キュベレーの物語にはその息子であり、恋人でもある Ἄττις アッティスと言う人物が登場します。このアッティスもしばしば崇拝の対象とされます。

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By Marie-Lan Nguyen (2009年9月), CC 表示 2.5, Link

原文は古典ギリシア語で書かれています。この記述に至るまでに、アッティスについての紹介がありますが、彼は先天的に性的不能であったと語られています。以下はそれとは異なり、性的に健常であったアッティスについて語られています。

女神アグディスティスの誕生

νομίζουσί γε μὴν οὐχ οὕτω τὰ ἐς τὸν Ἄττην, ἀλλὰ ἐπιχώριός ἐστιν ἄλλος σφίσιν ἐς αὐτὸν λόγος, Δία ὑπνωμένον ἀφεῖναι σπέρμα ἐς γῆν, τὴν δὲ ἀνὰ χρόνον ἀνεῖναι δαίμονα διπλᾶ ἔχοντα αἰδοῖα, τὰ μὲν ἀνδρός, τὰ δὲ αὐτῶν γυναικός:

本当のところは人々はこれまでに述べた風にはアッティスのことを考えてはいない、その土地での彼についての言い伝えは以下のような別のものである。ゼウス神は眠っているときに自分の精子を大地に注ぎ、大地はしばらくのちに二重の性器を持つ神(ダイモーン)を生じさせた、それは男性器であり女性器でもあった。

ὄνομα δὲ Ἄγδιστιν αὐτῷ τίθενται. θεοὶ δὲ Ἄγδιστιν δείσαντες τὰ αἰδοῖά οἱ τὰ ἀνδρὸς ἀποκόπτουσιν.

名前をアグディスティスといった。しかし神々はアグディスティスを恐れ、その男性器を切り落とした。

古典ギリシア語には文法上の性が男性、女性、中性の3つありますがこのアグディスティスには男性(文中の αὐτῷ は男性与格単数、女性の場合であれば αὐτῇ となるはず)を当てているようです。現代ロマンス諸語でも男女入り混じった集団を男性複数で受けますが、両性具有を男性として受けるのも、これと同じ考えかもしれません。ただし両性が一柱に宿っているため、複数ではなく単数です。

δαίμων ダイモーンとは古代においては神(多神教の神々の中の一柱)と同義であったようですが、時代が下るにつれて神より下位の霊的存在を指すようになり、キリスト教の文脈では悪魔(デーモン)のように使われます。ここでは最初の意味での「一柱の神」としました。

アグディスティスは両性具有の神でありながら、他の神々に去勢されています。神々が δείσαντες「恐れた」と訳しましたが、他の版には δήσαντες「縛った」とするものがあるようです。どちらもアオリスト時制の能動分詞ですが、どちらであってもキュベレーが強制的に去勢されたことに変わりません。男性器と切り落とされた両性具有の神はこれで女神となります。

アッティスの誕生

ὡς δὲ ἀπ᾽ αὐτῶν ἀναφῦσα ἀμυγδαλῆ εἶχεν ὡραῖον τὸν καρπόν, θυγατέρα τοῦ Σαγγαρίου ποταμοῦ λαβεῖν φασι τοῦ καρποῦ: ἐσθεμένης δὲ ἐς τὸν κόλπον καρπὸς μὲν ἐκεῖνος ἦν αὐτίκα ἀφανής, αὐτὴ δὲ ἐκύει:

そしてその性器からアーモンドの木が生え、熟した実を宿した、河の精サンガリウスの娘が天啓を受けその実をもぎ取った。そして彼女はその実を自分の子宮に入れると、その実は姿を消した、そして彼女は身ごもっていた。

τεκούσης δὲ τράγος περιεῖπε τὸν παῖδα ἐκκείμενον.

そして彼女は男の子を出産したのち、その子は捨てられ、牡山羊がその世話をした。

切り落とされた男性器から何かが生じるというのは、ウラノスの男根に付いた泡から生まれたアフロディテを連想させます。しかしウラノスは男性の属性しか持たない神である一方でキュベレーは主に女性の属性を持っていることが大きく違う点です。

この語り口は淡々としすぎていて、娘が受けた天啓がどのようなものであったのか、どうして出産後捨てられたのかなどは説明がありません。もしかしたら文字として書かれることのない文化的な背景がかつて存在し、あえて当時は説明する必要がなかったのかもしれません。アーモンドについては社会人類学者のジェイムス・フレイザーが『金枝篇』 The Golden Boughの中で以下のように述べています。

Indeed in the Phrygian cosmogony an almond figured as the father of all things, perhaps because its delicate lilac blossom is one of the first heralds of the spring, appearing on the bare boughs before the leaves have opened. — The Golden Bough by James Frazer, Chapter 34 The Myth and Ritual of Attis —

実際のところプリュギアの宇宙論において、アーモンドは万物の父と考えられていた。おそらくその繊細な薄紫の花が、葉が開く前に裸の枝に現れる春の最初の前触れの一つだからである。

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By באדיבות אתרצמח השדה, CC 表示 2.5, Link

男根、万物の父、アーモンドの種というのは一連の連想を誘うものであるという考察です。さて続きを読みます。

女神アグディスティスとアッティスの恋

ὡς δὲ αὐξανομένῳ κάλλους οἱ μετῆν πλέον ἢ κατὰ εἶδος ἀνθρώπου, ἐνταῦθα τοῦ παιδὸς ἔρως ἔσχεν Ἄγδιστιν.

そして彼が育つに従い、彼の容姿の美しさは人間を超えるものとなった。そこで、彼への恋心がアグディスティスを捉えた。

αὐξηθέντα δὲ Ἄττην ἀποστέλλουσιν ἐς Πεσσινοῦντα οἱ προσήκοντες συνοικήσοντα τοῦ βασιλέως θυγατρί:

アッティスが成人すると彼の親類(親の役を担っていた人々)は彼をペッシヌスへ送り出した、その土地の王の娘と結婚させる目論見のために。

彼は女神の子であるだけに、人目を引く姿に育っていったとのことです。ここで女神は彼との恋に落ちたのですが、自分の息子との認識はもっていたのか、いないのか、それとも通常の出産を通じての子供でないため、曖昧なままでも許容されるものなのか、文章からは読み取れません。しかし私はお互いに自分たちの由来を認識しあっての恋であると思います。このことは考察で詳しく述べます。

アッティスの去勢とアグディスティスの願い

ὑμέναιος δὲ ᾔδετο καὶ Ἄγδιστις ἐφίσταται καὶ τὰ αἰδοῖα ἀπέκοψε μανεὶς ὁ Ἄττης, ἀπέκοψε δὲ καὶ ὁ τὴν θυγατέρα αὐτῷ διδούς:

結婚の歌が歌われていた、そしてアグディスティスが姿を表すと、アッティスは狂乱して自らの性器を切り落とした、そして彼に娘を与えようとしていた者(ペッシヌスの王)まで同じように切り落としたのだった。

Ἄγδιστιν δὲ μετάνοια ἔσχεν οἷα Ἄττην ἔδρασε, καί οἱ παρὰ Διὸς εὕρετο μήτε σήπεσθαί τι Ἄττῃ τοῦ σώματος μήτε τήκεσθαι. τάδε μὲν ἐς Ἄττην τὰ γνωριμώτατα: — Pausanias, Description de la Grèce 7.17.10 – 13 —

しかしアグディスティスは自分がアッティスに為したことを後悔し、そしてゼウスによりアッティスの体が腐ることなく、また崩れることもないことを見出した。これらがアッティスについて最もよく知られていることである。

随分劇的な展開です。彼(と義理の父になる予定だった者)は自身の性器を切り落とすことにより命を落としたのかはここでは明言されていません。生きているのだとしたら、去勢による障害や壊死がおこらないことを願ったとも取れますが、その後アグディスティスとアッティスがどうなったかは語られていません。

別の言い伝えでは彼は松の木に生まれ変わったというものがあります。実際のところ葉を落とすことのない常緑樹は「腐りも崩れもしない」というイメージと重なります。

考察とまとめ

さて神話や伝説には普段語られることのない心理的な側面が観察されることがあります。性別に違和感を感じSRSという去勢をも含む対応を取った私から見て、これは去勢願望を持つ者を惹きつけるべく巧妙に作られた物語に思えます。

アッティスから見た父に相当するのはこのキュベレーから切り落とされた男性器に由来しています。アッティスは父性の関与がない生い立ちを持ちます。牡山羊に育てられたという逸話は父に変わる存在を排除する筋立てと言えるでしょう。

青年となったアッティスはキュベレーと関係を持ちますが、彼にとって孤児として育った自分の由来をこうして見つけたこととなります。一方、キュベレーにとってはかつて自分のものであった男性器の行き着いた先との再会とも言えます。キュベレーとアッティスの恋は一面では近親相姦ともとれますが、むしろ一度引き裂かれてしまった両性具有の持つ完全性の再現と言ったほうがよいでしょう。

このあたりはプラトンの『饗宴』に出てくるアリストファネスの挿話に似ています。あるミュージカル映画に、このアリストファネスの話を題材に作られた曲があるのを見つけたので貼っておきます。ざっくりとした流れは理解できると思います。

さて、このように再合一を果たした二人ですが、アッティスの結婚によりこれも終わりを告げます。アッティスは男性としての性を他者である女性との関係で確立することとなります。ただ親類の勧めによるものなのでアッティス本人がそれに前向きであったわけではなさそうです。このことはキュベレーにとって面白くないことだったのでしょう。アッティスと、義理の父となる予定の女神とは縁のない男性が狂乱することになるのもこの女神の力によるものです。

アッティスが結婚を望んでいなかったとするならば、狂乱のうちに自分で男性器を切り落としたのは「結婚の拒否」とも受け取れます。「結婚の拒否」は「男性の処女性の担保」と言えるでしょう。そしてこれを担保する確実な方法は去勢です。これで社会的に男性となることなく、男性として認められることもなく、万物の父であり女神でもある大いなる存在に帰依することができる、このような意味がキュベレーの信者にとって見いだされていたかもしれません。

また女神の「腐りも崩れもしない」という願いは、単に去勢による傷が悪化しないことだけでなく、長く生きられるということを指しているかもしれません。実際、中国の宦官(去勢した役人)は通常の男性よりも長寿であったことが知られています。このように生への希求から、自らの男性性を排除し、女性化する行動に一定の価値が見いだされていた可能性があります。

私にとって興味深いことに、私のようなトランスジェンダーMtFは、この伝説の中で容易に居場所を見つけることができます。私も一時、去勢か死かを選ぶような切迫した時期がありました。もし、その時期にこの伝説に触れていれば、少し気持ちが和らいだことでしょう。性別違和を感じていた古代の生物学的男性は私と同様にこの伝説に惹かれていたかもしれません。

もちろん神話や伝説は多義的に解釈されるべきですが、性的少数者(ここではトランスジェンダーMtF)が古代にも存在し、彼らに対する居場所がそこに存在していた可能性が、ここに見いだされないでしょうか。

このキュベレーの信者たちについての記述は他の原典に当たる必要がありますが、これはまた別の記事で書くようにします。

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