こんにちはサクラです。
トランスセクシャル、性転換とは一瞬で実現されるものではなく、長い時間がかかるものです。私についていうとホルモン治療を初めてSRSを受けるまでに12年かかっていますし、戸籍の変更はまだ数年先のことになります。まだ道半ばです。そしてその期間には両方の性に属するような、あるいはどちらにも属さないような体験をすることになります。
ホルモン療法を始める前の私は肉体の性と心の性が折り合わず乖離性同一性障害、つまり多重人格のような時期がありました。私はそれらの人格のコントロールがあまりできず、それぞれの人格に好きなようにさせていました。女性を自認する私の人格の一つ(これが今の自分の核になっています)はSNSでいろいろな人と交流をしていました。その中で丁度私のケースとは逆、つまり女性の肉体と男性の心をもつ人に出会いました。実際には会うことはありませんでしたが身の上についてずいぶんいろいろ話をしました。
以下は生物学的な女性「山吹さん」の中にいる男性人格の「てつさん」が2006年3月に語ってくれたことです。文中のアンドロギュノスは両性具有の意味でギリシア語の男(ἀνήρ)と女(γυνή)の複合語です。今読み返してみると彼のメッセージは自分の中でずっと息づいていたことに気づきます。
男性と女性の人格が、ひとりの人間の中に共存していることのメリットがあるとすれば、それは「全体性」について考えるのによいポジションでいられることでしょう。
言葉・詩・歌は、女性原理にもとづくもの。 科学・数・論理は、男性原理にもとづくもの。 こういう昔からの分類が成り立つとすれば、男性と女性の人格でそれらを分担することは、自然なことかもしれません。
さらに、それがひとりの人間の中で、男性と女性の人格で、右脳と左脳で分担されて、学習され理解されたときには、全体として総合されることが可能になるでしょう。とても素晴らしいことです。
ぼくらは、自分のあり方を考えるとき、「全体性」について、「全なる一」について思いを馳せないわけにはいかないのです。 また、そのようなことを考える機会が与えられていること自体、ぼくらは幸せに思っているのです。
異性の人格と共存していることから起こる 「いろいろのかなしみ」もきっと、幸せのためにあるのでしょう。 ぼくはそう信じることにしているのです。
(中略)
ぼくらはずっと昔から、山吹さんの中にぼくが生まれた頃から考えているのですが。同じ人間の中に、男と女が共存していることには、深い意味があると思っているのです。
ひとりの人間の中に、男と女が共存している。ぼくらは自分のことを、アンドロギュノスのように思います。それは奇形なのかもしれませんが、そういう風に生まれたからには、それなりの生き方をする使命があるように思います。
男性と女性の対というのは、全体性の象徴でもあるのですが。普通の人が恋愛や結婚で成し遂げるその結合を、ぼくらはすでに自分の中で、ひとりの人間の中で成し遂げているのでしょうか。
それがたとえ不完全なものだとしても、ぼくらのような人間は一生かけて、そのことの持つ深い意味を探求する使命があると思っているのです。
人間の魂は本来、両性具有的なものだと、ぼくらは考えているのですが、そのことをもっともよく理解できるのが、ぼくらのような人間に与えられた恵みなのかもしれませんね。