こんにちは、サクラです。
今日は身体感覚の変化について書きます。
前回の記事に書いた通り、プールに行けるようになってから、楽しくて何度も行っています。最初はセパレートの水着を着ていましたが、競泳用のワンピース水着を買いました。少しサイズダウンしたので大きめの11号か13号になりました。ワンピースは作りがシンプルなので着心地、泳ぎ心地はよいです。
プールは運動になったり、適度な水圧が肌の美容によかったり、いろいろ語りたいことはあるのですが、今の私にとってのプールは身体感覚を養うのに大変役に立つものになっています。体全体で水圧、水流、浮力を受けるので身体感覚に意識的に、そして敏感になります。
SRS前に股間にあったものが今はない状態なので、ここが身体感覚で一番ギャップを感じるところです。快とか不快とかではなくて、単に慣れていないということです。こぶとり爺さんが鬼にコブを取り去ってもらったときにもこんな感じがしたのかしら、などと考えてしまいます。
このような身体感覚のギャップはプールで身体感覚を養うことによって解消されてきたようです。現状の身体に合わせて感覚が更新されたといってもいいでしょう。
私の個人的な意見かもしれませんが、身体感覚は一度更新されると以前の感覚を思い出すことは困難に思えます。つい3ヶ月前までは私には男性器がついていて胴体の末端に凸状に配置され、水流があればそれを乱流に変えていたはずです。しかし今ではそのような感覚を思い出すことが難しくなってきました。
もちろん自分の記憶を援用すれば思い出すこともできますが、誰かに聞いた噂話や、本で読んだ神話の世界のような遠くのことがらのように思えてしまいます。
SRSの前の私は、(今と同様ではあるのですが)女性用のショーツを履いていました。しかし、女性用ショーツは当然ながら凸部が考慮されていない作りなので当時の私には窮屈だったと思います。ただし、当時は一向に気にしていませんでした。自分の性自認が一番に優先されていたので、むしろ窮屈さは喜びだったとさえ言えます。
今ではその窮屈さも、うまく思い出せなくなってきました。女性用ショーツは股間に凸部がない人向けなのだ、と今では思っています。おそらく私以外の多くの人に当然のこととして広く受け入れられている事実です。
SRSは実にいろいろな価値観の変化を私にもたらします。昨日信じていた窮屈さは今日は忘れてしまっています。昔の有名な映画の台詞に、明日は明日の風が吹く— Tomorrow is another day — という台詞がありました。身体感覚が変わるということは、まるで別な風が吹いている明日に生きるようなものだと思います。