こんにちは、サクラです。
今日は最近の家族のことについてお話します。
小学校や中学校など、子どもの社会において親の話題はしばしばでるものです。我が家の場合、生物学的父親である私が母親の社会的役割を担ってPTAの活動や学校行事に参加していました。このため娘の友人たちに私は母親として知られていました。となると当然「お父さんってなにやってるの?」という質問が娘たちに向けられます。「両親そろっていることが普通の家庭である」という観点から考えれば全く罪のない質問です。
我が家は一人親家庭であり、私が母と言う前提で母子家庭であるというつもりでいましたが、「普通の家庭」による同調圧力のためなのでしょうか、娘たちの返答は異なります。
- 外国(アメリカなど)で仕事をしている
- 出張で海外を飛び回っている
- 外国に行く船の船長さんをしている
- 死んでしまった
など、父親がいるが不在がちである、または過去にいた前提になっていました。これが2年前までの様子です。
一昨年のSRSを期に、まず私自身に変化が訪れます。これについては今までの記事でお話していた通りです。
SRSをする前の私は男性の外性器を持ちつつ女性として暮していました。いわば嘘のカードを場に出したダウトのプレーヤーのような心境です。性的少数者への理解が進んだこともあり、日常生活でよっぽどのことがなければ他人の性別に対して「ダウト」の宣言をしてくる人はいないでしょう。それでもどこかで嘘を語る意識を持ち続けることは精神衛生上あまりよろしくありません。なのでウィッグを着用したり、化粧をしたり、女性らしい服装をしたりと必要以上に女性的に振る舞おうとしてダウトされるリスクを減らそうとするのは当然の反応でしょう。(それが裏目に出て不自然さを醸し出すこともありえます。)
ところがSRSを行ったあとでは状況が180度変わります。外性器は女性の見た目となりますのでカードは嘘でなくなります。自分の出すカードが要求された数字の通りであれば何も心配はいりません。「ダウトしたいんだったらしてみなさいよ」と強気に出れるのです。最悪の場合、裸にされてもそれでカードが正しいことが証明されるのなら、それはそれで構わない(もちろん避けたいですが)とさえ思います。— カードの手札
現在の娘たちは、特に学校を卒業し同調圧力のない環境にいる上の娘は親密な友人に対して以下のような話をしているようです。ざっとまとめるとこのような筋書きです。
- はじめにお父さんとお母さんの両方がいた
- お母さんがいなくなった
- お父さんがお母さんになった
- 今はお母さんだけいる
極めてシンプルで、小学生でも理解できる内容です。ただ「お父さんがお母さんになれるか」という問いが山場になります。性別という二分法で「そうはいってるけれど、どちらかといえとやっぱり男でありお父さんではないか」との反論を回避できなければ、この筋書きは成立しません。SRSとその後の私自身の精神的変化によって、この反論に対する反論が可能となったのです。
たしかに生まれは男であり、かつてはお父さんであったかもしれないけれど、現在はその証拠を身体に見つけることはできず、どちらかというと女と言えるため、お母さんと言って差し支えないだろう。
この変化は、私自身がシンプルに自身を語ることが出来るようになったため、それが娘たちにも波及したものと言えます。娘たちも彼女たちの親のことをシンプルに語れるようになり、心理的負担の高い虚構を心に持つ必要がなくなったのです。