ボンジュール、サクラです。
今回は生物学的男性が母親になるためにどのような問題があるのかを書きたいと思います。
以前から書いている通り、私は二人の娘と三人で暮らしています。私が現在「ただ一人だけの親」であり見た目が「女性」であることから周囲からは「母親」と認知されています。
また仮に私の性別に対して疑問を持つ人がいるとしても、私が「母親」であることから必然的に「女性」と判断せざるを得ないということもあるようです。それほど「母親」というものは「生物学的女性」と不可分である概念なのでしょう。
では男性が母親になるためにどのような問題や障害があるか考えてみたいと思います。
1.子作りについて
男性は子宮がないため出産をすることはできません。このため、誰かの子宮を借りて子供を作ることになります。この制限はすべての男性に当てはまりますが、出産の機能に問題のある女性もこれに当てはまります。後者の場合代理出産というかたちで子供を設けることになります。
以下は以前の記事の引用です。
男子高校生の私は、妻はほしくない一方で子供だけ持ちたいと考えていたので、このジェニー・フィールズの生き方に強い共感を覚えました。しかし彼女と違い子宮のない私には、その実現はよりハードルが高いものでした。SF小説では自分のクローンを作って育てる話もありますが、今でも人間の生殖にたいする実用化のめどが立っていません。当時の私の考えていた将来の計画は、なんとかして金持ちになって、契約を結ぶことで女性に代理出産をしてもらうことでした。(中略)実際には生殖適齢期のうちに金持ちにはなれませんでしたが、ふとしたことで結婚して娘も二人持つことできました。
文中のジェニー・フィールズとは小説の登場人物で、「夫は不要だが子供がほしい」と考えそれを実行に移した女性のことです。
実際のところ、生物学的男性にとって子供を得る一番有効な方法は「女性と生殖し子供を産んでもらう」ことになるでしょう。性自認が男性である場合には「愛する女性が出産することで父親になる」のでしょうが、私の場合は後付ですが「代理出産を経て母親となる」ことになりました。
2.第一保護者について
「母親」であるもう一つの条件として、「子供にとっての第一保護者である」ことが要請されます。父親と母親の違いはその性別だけではなく、どちらが子供の世話に対して高い優先度で接しているかが問われます。そして多くの場合それは母親となっています。
父親が子育てを手伝うことがあるにせよ、父親が一人ですべてそれを行うケースはあまりないと思います。私の子育て期と今では少々事情が違うかもしれませんが、「母親が第一保護者である」という観念には保育園など育児に関係する局面では至るところで出会うでしょう。
ここで父親が母親として認められるには次の2つの条件を満たす必要があります。
- 見た目が女性であること
- 母親が不在であること
前者についてはトランスジェンダーとしての道を歩むことで実現することが可能でしょう。これは後述します。
後者については、出産する女性が必要な一方で、その女性が母親としての地位を出産後に放棄する必要があります。この条件を満たすことはかなり難しいと思います。私の場合には偶然なのか必然なのかこれをクリアすることができました。
以下同じ記事の引用です。
妻が私と娘たちから離れ、別居するまでには長い時間はかかりませんでした。妻の能力と意思がそもそも結婚生活継続に向いていなかったこともありますが、私の中でジェニー・フィールズの影響が強く作用していたことが最も大きな原因だったと思います。もしかしたら私は負傷した兵士のなかから生殖相手を探したジェニー・フィールズのように、結婚生活に向かない女性を生殖の相手に求めていたかも知れません。だとすれば結果として私は高校の時の願いを叶えたことになります。男性として生まれ、子供をもち、女性化して出産を除いたほとんどの母親の役につけたのですから。
このように母親になりたい男性にとっての最大の障壁は、出産した女性が母親になる意思を持ったときに、それを排除することはできないということです。離婚をするにしても日本では母親に親権が渡ることが多いと思います。
そしてこれらの障害をクリアしたとしても、子供の親として自分だけが残るため、ひとり親家庭となる覚悟が必要となります。ひとり親については自治体の支援があるのでよく調べておくことをおすすめします。
下の娘が保育園のときに「お母さんってパパのこと?」と聞かれました。当時まだ私は子どもたちから「パパ」と呼ばれていました。一方で彼女のいう「お母さん」とはここでいう「第一保護者」を意味しています。このときすでに子供たちは私を「母親」として認め始めていたのでした。
3.女性としての外見について
上でも出てきましたが、母親として認められるには女性として認められる必要があります。私の場合二人目が生まれたのが32歳のころで、そこからトランスジェンダーの道を歩み始めました。もともと中性的だった面もあるとはいえ男性が女性としてパスするのはとても根気のいることです。
とはいえ、一つ前の議論よりは幾分優しい問題と言えるでしょう。なぜならこの問題は他者は介在せず自分一人ですすめることができるからです。ただし子作りが終わるまで実行に移さないほうがよいでしょう。ホルモン療法を始めてしまうと生殖能力は低くなってしまうからです。
今から考えると、当時駆け出しのトランスジェンダーだった私が女性として完全にパスしていたとは思えません。ただ周囲の母親たちは「仮に男性だとしても母親として努力している」私に寛容に接してくれたのだと思います。
私は子どもたちが小さい頃、彼女たちにこんなことを聞いたことがあります。「お父さんのサクラとお母さんのサクラとどっちがいい?」と。二人は「お母さんの方」と答えてくれました。私が「女性の第一保護者」であり「母親」であるということは家族の共通の価値観となりました。
4.子育てについて
もし母親になりたいというのであれば、子育て全般をこなすことになります。とはいえ世の中にはたくさんの育児書や知識が溢れていますので参考になるものはあるでしょう。私はこのときに私の母がなにをやっていたかを思い出し参考にしたものでした。
ただ生物学的母親を排除した場合、子育ては一人で行わなくてはいけません。食事や洗濯をはじめ、病気のときの対応のほか、服やおもちゃを用意したり、塾や教室に行かせたり、予防接種を計画どおりに受けさせたり、保育園の手伝いや学校のPTAの参加をしたり、友達とその母親たちとの付き合うことなど枚挙に暇がありません。
子育てに多くの時間をさく一方で、仕事をして経済的な基盤を築かなくてはいけません。子どもたちが小学校に上がるまでの時期は朝起きてから夜寝るまで片時の休みもないスケジュールでした。自分のやりたいことをゆっくりやる、という時間は諦めなくてはいけませんでした。(限られた時間で唯一私ができたことが語学の勉強でした)
この時期は本当に大変であったのと同時に、私の人生で一番大事な時期であったと今でも思います。
5.家庭の物語について
家庭というのは主に血縁により結ばれる人の集団です。そのメンバーの心をまとめるには一種の神話が必要となります。どの家でもその家の成り立ちに関する物語や祖先についての言い伝えがあることでしょう。そして家庭で毎年行われるイベントや家庭内の祭事を司るのは母親の役目であることが多いでしょう。
子供にとって家庭の神話は自分のアイデンティティを形成するにあたり非常に重要なものだと思います。自分の生まれる前の知り得ない出来事についての物語、それは幾分眉唾なものを含んでいても構わないのです。例えば私の家の神話では二人の娘は私のお腹から生まれたことになっています。娘たちはもう十分に合理的な考えのできる大人で私が出産できないことは理解していますが、それでも自分たちの由来というのをそのような表現にゆだねているのです。これは彼女たちが友人に話すときにも有効となります。そして私もその神話を信じることにしています。
まとめ
ここまで述べたことの他にも個別の事情によりまだまだ、問題があるでしょう。しかし、私についていえば母親になろうと努力することによって、子どもたちは私に母親であることを求め、それが周囲にもひろがり周囲から母親であることを求められ、いつの間にか本当の母親となっていた気がします。
もしみなさんの中に男性でありながら母親になりたいという方がいるようであれば、なるべく早い段階で計画を立て実行に移すことをおすすめします。今回お話したようにいろいろ制約がありますが、その中でも一番大事なのは時間に関連することです。