猫の去勢

サクラです、こんにちは。

うちで飼っていたオス猫の去勢で思ったことを書きます。

中学生になった頃うちにオス猫がいました。湖のそばで私が拾ってきた猫で、とても人懐っこい性格でした。しかしなぜか猫同士では折り合いが悪いのか近所の猫とケンカばかりしていました。窓の外を他の猫が通り過ぎることがあれば唸りながら威嚇をします。もし窓を開けたら飛び出して大喧嘩になりそうなほどでした。実際のところ外に出ていくたびにどこか怪我して帰ってきました。でも怪我が治るとまた同じことを繰り返すのです。

ある日、あまりにも怪我が多いので去勢をしようと家族で決めました。というのもこのままだと怪我で障害猫になってしまいそうだからでした。元気なのはいいけれど早死してしまうのは私も嫌だと思いました。そこで近所の病院につれていき去勢手術をしてもらいました。

術後数週間して傷がなおってもあまり外にいきたがりませんでした。観察してみると外を歩く猫に対して少し唸るくらいで前のような激しい威嚇はしなくなりました。顔つきも柔和になった気がしました。この猫はその後ずいぶん長生きしました。

私は睾丸がなくなることによって生殖機能と同時に男性性が失われることを強く意識しました。また陰茎はそのままでもよいことに少し驚きもしました。

この猫の去勢と前後して私にも思春期が訪れ、強い性的衝動を感じ、なんとも言えない激しい感情に支配されることもありました。乱暴になったり、無軌道な行動をしてみたりというのもこのような衝動のためだったのでしょう、おそらく。でも実際は望んでそうしているわけでは無いことも自分で気づいていました。

私は自分の子供がほしいとずっと思っていたので、いつかは結婚して子供を設けると漠然と考えていました。でも一方でこのコントロール不可能な衝動は歓迎できるものではありませんでした。この衝動を疎ましく感じるときには常に去勢したうちの猫の柔和な顔つきを思い出しました。子供を作るのでなければ今すぐにでもあの近所の病院で私も去勢してほしいと考えたこともありました。

今から考えると結局のところ私はあまり男に向いていなかったのだと思います。もとから不器用ではなかったのでなんとか日常を営むことはできましたが、自分が男であることを素直に受け入れていたかというとおそらくNOだったのだと思います。

その十数年後に起こった大きな変化、結婚生活の破綻と女性としての自認、二人の娘との生活は、今まで抑圧されていたものが堰を切って流れ出て私のそれまでの生活を押し流してしまったのかもしれません。猫の魂というのがもしあるのであれば、私は柔和な顔をして死んでいったあの去勢されたオス猫からも人生の導きを受けているのだと思います。

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