LGBTのTについて

こんにちはサクラです。

今日はLGBTとか性的少数者と呼ばれるカテゴリに存在するトランスジェンダーの立ち位置について、私なりの考察をしてみたいと思います。あまり踏み込んだところまでは語れないかもしれません。

英語では近代以前の性の伝統的な考え方からはみ出した人々のことをqueerと呼ぶようです。この単語はもともとは「奇妙な」という意味を表す形容詞でしたが、「ホモセクシュアルのような」という意味に変容していったようです。文脈によっては名詞や動詞としても使われています。性的少数者に対する様々な議論から発生した理論をまとめてqueer theoryと呼ばれています。性的少数者を表す意味でのqueerの適切な日本語訳はないようで「クイア理論」と訳されています。

LGBTの中で主流を占めるのがゲイ(G)=男性同性愛者、次にレズビアン(L)=女性同性愛者でこれだけでLGBTのほとんどの割合を占めている — 数の上でも社会的なイメージの上でも — といえます。この両者に特徴的なのは以下の点です。

  1. 同性愛者であること
  2. 異性愛者でないこと
  3. 自身の生まれた性に同一性を持っていること(違和感を持っていないこと)

バイセクシャル(B)は同性も異性も恋愛の対象となるため上記の2を満たしません。同時に異性愛者でも同性愛者でもあることから両性愛者とよばれます。単性愛者(異性でも同性でもとにかく片方の性を恋愛対象とする)というカテゴリを想定するならば、ヘテロセクシャル(社会の多数派である異性愛者)とゲイとレズビアンがこれに属し、バイセクシャルに対立する構図となります。

このようななかでトランスジェンダー(T)はまた異なる立ち位置にいることとなります。というのも異性愛者もLGBのいずれも基本的には上記の3を満たしますが、トランスジェンダーはこれを満しません。そしてこれがトランスジェンダーの最大の特徴となっています。

トランスジェンダーは自分の望む性での、つまり生物学的性と異なる性での自分を認識します。また彼ら彼女らは異性愛者であることも、同性愛者で有ることも、両性愛者で有ることもありうるのですが、そのような区別に関係なくトランスジェンダーというカテゴリに入れられます。例えばトランスジェンダーMtFは生まれた性は男性ですが自らを女性と認識します。もし彼女が異性愛者であれば男性を、同性愛者であれば女性を、両性愛者であれば男性女性関係なく恋愛対象とします。Tであるというだけで前の3者LGBのいずれかは問われません。

このためトランスジェンダーにとっては自分の性自認が上位の概念になり、LGBの問題は下位の概念となります。このようなことからLGBTというときのTは主流派でもなく、主流派の主張する意見に賛同しやすい状況にない(もっと優先するべきTの課題がある)ため、まとめにくいカテゴリといえます。

私もこのTに属するわけですが、日常的に女性と扱われることが多ければ特に問題意識も持ちえないので、LGBTの活動に関わることもありません。全く問題意識が無いわけでもありませんが、地球環境や所得格差や人種差別の問題などと並べられるとどれを優先するべきか迷うことがあります。

最後にちょっとだけ別の話題を。LGBTに先行するフェミニズムの文脈ではトランスジェンダーMtFは微妙な扱いを受けることがあります。トランスジェンダーが女性の体を手に入れたとしても、それは「社会的抑圧に対する順応行動であり、女性であるとは認められない」という意見もあります。このような意見を持つ集団はTERFs(Trans-Exclusionary Radical Feminists トランスジェンダーに排他的な急進的フェミニスト)と呼ばれているそうです。

SRSから1年経過

ボンジョルノ、サクラです。

早いものでSRSから1年立ちました。一言でいうと、予想以上に多くの変化のあった一年でした。

そもそもこのブログを始めたのはSRS直後のことでした。SRSに至るまでにトランスジェンダーとして体験した様々なことを書き記しておきたいと思ったのがきっかけです。同じような状況にいる方にとって、参考になればと思ってはいるのですが、もしかしたらあまりに個人的すぎて参考になっていないかもしれません。

さて現在SRSから1年経過したということですがこの一年間を振り返ってみます。術前の私はSRSに対して、単に外性器変更とそれによる生活の変化くらいしか期待していませんでした。そもそも私の手術の動機は、今までの両性具有的な生活にケリをつけるということと、自分の性について迷うことなく温泉やプールを楽しみたいということくらいだったのでした。

しかし術後しばらくしてみると、どうも様子がおかしいことに気づきました。何人かの男性にとても強く惹かれるのです。当然それらの男性たちは人格的にも立派に思える人たちであるのですが、なんというか理屈ではなく有無をいわさない強い衝動を伴う惹かれ方です。夜の街灯に惹かれる虫とでもいうのでしょうか、そのような惹かれかたは術前にはありませんでした。

私はいろいろ考えた挙げ句、これは今回の手術による変化だと結論付けました。術前には男性の匂いにこれほど敏感ではありませんでしたし、無関心だったと思います。術前の私は男性ホルモンを定期的に分泌する睾丸の影響下にありました。外の男性に影響されないのは、自らの内なる男性による影響だったのです。

この外の男性への衝動が軽いものでしたら、うまくやり過ごして暮らすこともできたでしょう。あるとき、ある男性のことが頭から離れず、彼に対してとても強い想いに心が占領されてしまいました。女友達には思春期だと揶揄されましたが、あながち嘘では無いと思いました。

こうした想いも相手がこちらを向いていくれるのであれば成就され解消されるものだったのかもしれませんが、実際は違いました。相手の男性は私の方を向くことなく、私の片思いは成就されることはなく行き場を失ってしまったわけです。精神的に不安定になり、日常生活にも影響がでるようになると、なにか対策を取るべき事象だと認識するに至りました。

その対策として、私は男性と交際することを考えました。男性を好きになる自分を認めてあげることによって、また男性に対して自然に行動を取ることを許すことによって、精神的にずいぶん安定しました。このような心の動きに注意を払わなかった私にそもそも問題の原因があったと言えます。手術前にはこんなことがおこるとは予想もしていませんでした。おそらく両性具有的な当時の私は外部の男性も外部の女性も必要としていなかったからです。

性の違和感を感じだした初期のころは、女性である私の自我は心の中の本当に小さい点のようなものでした。しかし、一度それが力を得ることになると徐々にその勢力範囲を広げていきました。まず心の多くの部分を占領し、次に行動を規定し、さらにホルモン療法により体の内側を完全な支配下に置いた私の自我は、今度は体の表面を変更することを要求しました。これがSRSにつながるわけです。手術によってこの自我の拡張は止まると予想していた私は、見事に裏切られることになりました。

自我というのは自分個人だけで存在しえないもので、他人との関係があって成立するものです。体の表面を境に外側と内側で混じり合うことのない別な世界が存在すること自体が考えにくいことなわけです。術後一年間は、まずは体の回復の期間であり、さらにその外側へと広がる準備をする期間だったと言えます。

トランスジェンダーと言語

こんにちは、サクラです。

今日は言葉について書きます。性のあり方は言語によって違うのでしょうか?

普段日本語で話をしていると、性別によって話し方が違うのに気づきます。例えば一人称代名詞について、英語であれば性別に関係なく大文字書きの I の一種類しかないのに対して、日本語には「私は」「僕は」「俺は」などの選び方によって性別だけでなく、その人の立場や身分、年齢などがある程度浮き上がってきます。

ほかにも、語尾や、単語の選び方などについても性別による表現の違いはいたるところに見つけられるでしょう。最近の日常会話では、昔ほど性別による話し方の違いは見られなくなったとはいえ、やはり話すときに性別のことを意識せずに語るのは難しいでしょう。

私はときどきSNSなどで英語でチャットをすることがあります。そのときに感じるのは、日本語に感じるような、性別の制限をあまりうけないということです。文章の内容を見ればそれが男性か女性かわかるかもしれませんが、文章の形式だけでは判別することは不可能です。

一方、フランス語は性別の扱いが文法上で厳格な言語です。名詞の全ては男性名詞と女性名詞に分かれますし、形容詞も男性か女性かで変化します。

例えば un ami アナミといえば一人の男性の友達、une amie ユナミといえば一人の女性の友達であることは発音からわかります。複数の場合、男性を含む複数の友達 les amis と女性だけの複数の友達 les amiesの両方ともレザミという音なので、会話では違いがわかりません。でも綴りが違うので文章で書くと違いがわかります。

また、「私は満足です」という表現は男性なら Je suis content ジュスィ コンタン、となりますが女性ならJe suis contente ジュスィ コンタントゥ と発音します。形容詞の最後につく小さいトゥの音があるかないかによって、フランス語話者はそれが男性が発した言葉なのか女性が発した言葉なのかを聞き取るのです。

しかし、フランス語は一度自分の性別を決めれば話す形式が統語的に決まるのに対して、日本語は単語の選び方や言い回しで性別を表現することが比較的自由にできます。私のようなトランスジェンダーにはこれがかえって煩わしかったりします。

おそらく社会的なしくみと平行して、または関連して、このような言語の仕組みが性に与える影響は多いかもしれません。もしジェンダーの問題で悩んでいる人がいるようでしたら、なにか外国語を学習するのはどうでしょうか?

もしかしたらこれは突飛な提案に思えるかもしれません。思考するのに人は言語を使いますが、このときに別な言語を選べるようにできるならば、別な意見を導き出せるようになるかもしれませんし、もしかしたら今より自由な考えができるかもしれません。

トランスジェンダーのトランスはもともとラテン語のtrans「〜の反対側へ」「〜を越えて」という前置詞からきています。仮に反対側に、さまざまなものを越えて無事ついたとしたら、今度はそこで生活することになります。そこで生きるためには「こちら側」で使っていた知識や考え方を積極的に変える必要が出てくるかもしれません。言葉もその重要な一つの要素だと思います。

MtFの恋愛事情

こんにちは、サクラです。

今日は恋の話をしたいと思います。とはいえそこにいたる前段階の話がほとんどです。

一般にトランスジェンダーは自認する性に近づくような行動を取りますが、生物学的に完全に同一化することはできません。ホルモン療法による体つきや顔つきの変化や、SRSによる外性器の変更があっても、やはりどこかで生まれた時の性の由来を引き継ぐものです。

生物学的女性とトランスジェンダーのMtFが確実に異なるのは、例えば前者が出産を期待されることに対して、後者は全く期待できないことなどがあります。年齢が若くて将来、結婚をして子供が欲しいという男性にとってMtFは候補には入らないでしょう。またそこまで望まないとしても、多くの男性はそれなりの性生活を相手に期待することでしょう。こうしたことから恋愛の対象として考えたとき、両者は時には微妙に、時には劇的に違いを見せることでしょう。

以下詳しく説明する前に用語を補足しておきます。

シスジェンダー cisgenderとはトランスジェンダーと言う単語が出てくることによって生まれたレトロニムで、「生物学的性と同一性を保つ人」を意味します。レトロニム retronym とは新しい概念が出てきたとき、その派生元の既存の概念を特定するために作られる名称のことです。例えば携帯電話に対する「固定電話」、スマホにたいする「ガラケー」がこれに当たります。それぞれかつては「電話」、「携帯電話」と呼ばれていましたが、後発のものと区別するためにレトロニムを獲得したのです。

同様にホモセクシャルと言う概念の出現によって、ヘテロセクシャル(heterosexual 異性愛者)という既存の社会で典型的であった恋愛を示すレトロニムができたわけです。

シスジェンダーでヘテロセクシャルな男女間の恋愛であれば、体の仕様や相手に求める性について特に深い話をせずに関係を始めることができますが、トランスジェンダーであったりホモセクシャルであったりすると、そう簡単にはいきません。

例えば私のようなMtFの場合、自分が女性であること、またどのように女性であるかということ、恋愛対象として男性を愛するということなどが相手に理解されなくてはいけません。トランスジェンダーの中にはホルモン療法もSRSも行っていない人も含まれることを考えると、相手は私の体のあり方は多様な可能性を秘めたものに映ることでしょう。仮に性行為に至ったときに初めて、多くの予想外のことを知るという事態は避けたい、とおもうのが自然なことだと思います。

男性によるトランスジェンダーの体についての問いは、もしかしたら「最初から体が目的の行動」と映るかもしれません。でも、私はそうとは言い切れないと思っています。シスジェンダー女性は、女性の属性がすべて揃っていることが担保されているので、あえて聞かれないだけとも言えます。聞くこと自体が失礼であったりハラスメントと理解されることさえあるわけです。

すべてが標準仕様であれば気にしないことも、過不足があるようなカスタム仕様であれば、調べる必要があるでしょう。トランスジェンダーは存在論的にカスタム仕様だといえますし、そうであればその仕様を問われたとしても疑問を持つ側の配慮がないなどと一概に言い切れない面があります。

以下私がシスジェンダー男性から受けたことのある質問や要望を挙げます。ジェンダーに関する課題に触れたことのある人であれば笑ってしまうような質問であっても、その当人にとっては真面目で素朴な疑問であることに注意する必要があります。

  • 写真がみたい、顔と全身写真を送ってほしい
  • 陰茎や睾丸はあるのか?
  • 膣は作られているのか?
  • (膣がないのであれば)どこで性的感覚を得るのか?
  • 通常の女性のような性的絶頂はあるのか?
  • 性自認は男と女のどっちか?
  • 恋愛の相手は男と女のどっちか?

「答えるのも馬鹿らしい」などと言ってはいけません。自分の性と異性に関する知識の枠組み、いわば性の知識スキーマを、それなりに人は持っているものです。しかし性的マイノリティに関する問題に触れていない人は、MtFについての性の知識スキーマを獲得していない可能性があります。

シスジェンダーでヘテロセクシャルであることが期待される社会で、トランスジェンダーとして生きるには、ある種のタフさが必要です。あまり感情に流されずに一つ一つ疑問を解消する努力ができるとよいと思います。

外見の問題

「写真をみたい」というのは私がどちらの性別に属しているかを自分の目で確かめたいという要望です。ヘテロセクシャルの男性にとっては、自分が見ても、そしておそらく友人や周囲の人が見ても、私が女性に見えるということは確認しておきたいことでしょう。

私は今まで自分の写真を撮らないようにしていました。自分の容貌に自信がなかったですし、セルフイメージと違うものを直視するのは気が進まないことでした。でも、これを受けて写真を撮るようになりました。

この行為は私にとってもいい影響を与えていると思います。自分の今の外見をきちんと把握しておくことは実は大切なことです。とはいえ相手に送るのは、当然映りのよいものだけ選びます。普段から沢山撮っておけば備えになるのです。

外性器の問題

さすがに外性器の写真を要求されたことはありませんが、どうなっているのか知りたい言う気持ちは理解できます。特にヘテロセクシャル男性にとっては、相手の外性器が男性的であったら一大事です。陰茎や睾丸がないことは、是非担保しておきたい事柄でしょうし、その跡地がどうなっているかも当然気になります。

何度かこういうやり取りをするうちに「温泉に行くと女湯に入っている」とか「プールでは女性更衣室で着替えている」という事実を告げると、比較的スムーズな理解が得られることに気づきました。外性器の問題は、外見の問題の延長とも言えますが、異性の相手の確認を事前にすることができません。女湯や女性更衣室でパスしていることは「私が他の女性の目からみて違和感を持たれてない」ということの担保になるのです。

ただ膣の有無については、これでは担保できません。でも、このあたりまで女性であることが担保されると、仮に膣なしであっても、多くの男性は私のことを女性と認めるのに支障はなくなるようです。ただ性行為をどうするかという懸念は残るようですが。

「陰茎や睾丸がないこと」についての問い合わせは上記に挙げたもののうち必ず聞かれる質問です。これは再度強調しておきます。

性的感覚の問題

実際に性行為を行う際に、相手が求めている性に期待する振る舞いをするのかは懸念事項となります。多くの男性は自分が快楽を感じているときに相手の女性にも反応してほしいと期待するでしょう。

とくに膣なしの私に対しては他の女性と同じように快楽を得ることができる根拠が必要とされます。「膣なしで性的感覚が持てるのか」という疑問は、陰茎を快楽の根源と考える男性であれば自然な発想ともいえます。その点に関しては「性的感覚は膣だけで感じるものではない」「男性と女性では感じ方が違うのではないか」ということを指摘して納得してもらいます。

性自認や性指向の問題

私が自分をどちらの性と思っているか、私がどちらの性を恋愛の対象としているかについては、あまり問題になることがありません。というのもこれらは心の問題なので、シスジェンダーでもトランスジェンダーでも、ホモセクシャルでもヘテロセクシャルでも、本人の言ったことを信じるしかない点については違いがないからです。

まとめ

このような数多くの疑問が解消されて初めて、次の段階、相手に対する恋愛感情を自分の中に認めることができるわけです。正直なところ面倒な作業だとは思いますが、相手に対して誠実になろうとおもうのであればこれは仕方のないことです。

シスジェンダーでヘテロセクシャルな人が、説明なしで自分の性が認められているという点について、社会的特権を持っているという捉え方もあるようです。トランスジェンダーであったりホモセクシュアルであったりする人に対しての知識が、今の社会で共有されていない背景があるからです。

一方で私のようなトランスジェンダーが直面する課題が相手との間で解消されると、より深い絆ができるともいえます。これはシスジェンダーでヘテロセクシャルな男女の恋愛においても、「男と女だから」という無思考な決めつけを離れて、その枠組を捉えなおしながら関係を築くことができるのなら同様の恵みがあることが示唆されていないでしょうか?

SRSから11ヶ月経過

Hello folks !! サクラです。

SRSの術後しばらく「SRSから○ヶ月経過」記事を書いていますが、もうすぐ1年経過しようとしています。

SRSによる性転換の完成は手術の完了をもって達成されるのではなく、これに続く一定期間を含めるべきだとおもいます。というのも手術によって股間そのものの形状が変わりますが、それは単にその部位だけの変化です。睾丸除去による男性ホルモンの分泌停止のため、術後は徐々に体全体が変化します。さらにその肉体的な影響を受けて心理的社会的な変化がおこります。この変化は予期していたものより大きいものでした。

髪の毛

術前から女性ホルモンの影響で剛毛だった髪の毛はある程度柔らかくなっていました。でも術後はさらにやわらかくなってコシのない猫っ毛になりました。毛量は増えないのですが、発毛剤の使用も手伝って前頭部や頭頂部の髪の毛の薄い所は徐々に改善しつつあります。ウィグがあまり必要とならなくなりつつあります。

筋肉と服装

全体に筋肉は落ちたと思います。もともとの骨格は男性であるとはいえ、筋肉が落ちたことにより女性の服が着やすくなりました。以前は股間の問題もありはけなかったスキニーフィットのデニムが着られるようになりました。スカートやワンピースでなくてパンツを女性として着ることは、一つの到達点かもしれません。

肌質

これは年齢のためもあるかもしれませんが、皮膚が以前より薄くなった気がします。このため洗顔や保湿をうまくやらないと肌荒れは赤みの原因となります。乾燥するようになったのも、もしかしたら年齢のせいかもしれません。朝晩少なくとも30分ずつはスキンケアの時間をとるようにしています。

心理的なこと

最近、色恋というほどまでではないのですが、男性との交流がありなんとなく気持ちが揺れる思いがしました。以前だとさらっと流せてしまったことが、長いあいだ心に引っかかり、わりと動揺することがあります。

いろいろ悩んだあげく今の所見つけた答えは、より多くの人と交流するということです。気持ちが一方通行となる相手に対して、あまりのめり込まないことが大事です。

戸籍が変更できないことから、現在も男性として仕事をしていますが、わりと問題なく暮らせています。ジェンダーの性差というのは相対的なもので、同性だけのグループであっても、そのメンバーでより男性的な役割を担う人と、より女性的な役割を担う人が出てくるものです。私も男性ばかりの部署内では女性的な役割を担うことが多く、あまり深く考えなければ普通に楽しく暮らせていると言えます・

恋愛感情

これも上記のような社会的なジェンダーの役割に影響されてか、普通に男性に気持ちが向くようになりました。術前なら「そうはいっても自分はいろいろな面で男だからな」というような気持ちをブロックすることもあったでしょう。でも、流れを堰き止めるものがなくなると、わりと自然に気持ちに従うことができます。

SRSの影響というのは肉体の変更からはじまり、徐々に精神的、社会的な変化へと影響範囲を広げていきます。以前私は「術後は終わった」といいましたが、術後11ヶ月経過した今でも変化は続いていると思います。