SRS三種類の選択

こんにちは、サクラです。

MtFのためのSRSといってもいくつか種類があります。私がお願いしたクリニックでは3種類の方法がありその中から選ぶことになりました。手術の規模の大きい順に並べます。

まず3つに共通している手術は以下です。

  • 精巣摘出術
  • 陰茎切除術
  • 外陰形成術

大腸法

造膣を行います。尿道と直腸の間を剥離したスペースに、切り取ったS字結腸を移植し膣を形成します(開腹あり)。費用は210万+α

陰茎皮膚反転法

造膣を行います。尿道と直腸の間を剥離し膣のスペースを造り、そこに陰茎と睾丸の皮膚を内張りします。費用は150万円ほど

造膣なし

造膣を行わないため膣様陥凹形成という膣のあるべき場所を凹んだ形にします。手術は一番軽め。費用は100万円ほど

手術中の連絡先が必要とのことで友人にお願いした時、手術について説明をしました。私と友人はこの3つをそれぞれ松、竹、梅と呼びました。松は費用もかかり回復時期も長くなりますが膣の使用感は次の竹よりよいとのことでした。竹は以前から日本でよく行われていた方法ですが、世界的に松に移行しているようです。またダイレーションという膣の手入れが必要で手間がかかるとのことでした。梅は費用も安く回復時期が短いですが、膣がないため性交渉ありきの場合には選択肢に入れにくいでしょう。

クリニックの先生は中途半端はやめて松か梅に寄せたほうがいい、造膣は身体に負担がかかるので覚悟が必要と言いました。性交渉目的のSRSでなかったためこれを聞いて梅にしました。実際のところ仕事を休むにしても松だと1ヶ月から2ヶ月休暇が必要となりますが、梅は2週間ほどで済みます。また梅は費用が松の半分以下というのも魅力でしょう。

SRSの保険適用が2018年4月から始まったというニュースがありましたが、私がお願いしたクリニックでは適用はありませんでした。美容整形に近い意味合いも持つSRSは国の指針に従う医療保険になじまないというのがそこでの考え方だったようです。実際のところ事務的なものもふくめて複雑な事情があるものと思います。

また生命保険で手術費用が適用される可能性もあるので調べてみるとよいでしょう。私も適用できるのであれば申請したいと思って準備しています。こちらはわかったらブログでお知らせします。

造膣せずあとで行うというのはあまり現実的ではありません。一度で済ませるように、よく考えて決めたほうが良いでしょう。造膣しなくてもそれなりに、というかかなり痛くて辛いので、私は梅で良かったと今でも思っています。

タイなど海外でSRSを行う選択肢もありましたが、私は検討から外しました。独身で自由の身であれば、さらに語学堪能であればよいのでしょうが、未成年の娘がいる私としては国内にとどまりたいという思いがありました。

人によって考えや事情が異なると思いますが、私の経験が誰かの参考になればと思っています。ではまた。

SRSとその収支

猫の去勢

サクラです、こんにちは。

うちで飼っていたオス猫の去勢で思ったことを書きます。

中学生になった頃うちにオス猫がいました。湖のそばで私が拾ってきた猫で、とても人懐っこい性格でした。しかしなぜか猫同士では折り合いが悪いのか近所の猫とケンカばかりしていました。窓の外を他の猫が通り過ぎることがあれば唸りながら威嚇をします。もし窓を開けたら飛び出して大喧嘩になりそうなほどでした。実際のところ外に出ていくたびにどこか怪我して帰ってきました。でも怪我が治るとまた同じことを繰り返すのです。

ある日、あまりにも怪我が多いので去勢をしようと家族で決めました。というのもこのままだと怪我で障害猫になってしまいそうだからでした。元気なのはいいけれど早死してしまうのは私も嫌だと思いました。そこで近所の病院につれていき去勢手術をしてもらいました。

術後数週間して傷がなおってもあまり外にいきたがりませんでした。観察してみると外を歩く猫に対して少し唸るくらいで前のような激しい威嚇はしなくなりました。顔つきも柔和になった気がしました。この猫はその後ずいぶん長生きしました。

私は睾丸がなくなることによって生殖機能と同時に男性性が失われることを強く意識しました。また陰茎はそのままでもよいことに少し驚きもしました。

この猫の去勢と前後して私にも思春期が訪れ、強い性的衝動を感じ、なんとも言えない激しい感情に支配されることもありました。乱暴になったり、無軌道な行動をしてみたりというのもこのような衝動のためだったのでしょう、おそらく。でも実際は望んでそうしているわけでは無いことも自分で気づいていました。

私は自分の子供がほしいとずっと思っていたので、いつかは結婚して子供を設けると漠然と考えていました。でも一方でこのコントロール不可能な衝動は歓迎できるものではありませんでした。この衝動を疎ましく感じるときには常に去勢したうちの猫の柔和な顔つきを思い出しました。子供を作るのでなければ今すぐにでもあの近所の病院で私も去勢してほしいと考えたこともありました。

今から考えると結局のところ私はあまり男に向いていなかったのだと思います。もとから不器用ではなかったのでなんとか日常を営むことはできましたが、自分が男であることを素直に受け入れていたかというとおそらくNOだったのだと思います。

その十数年後に起こった大きな変化、結婚生活の破綻と女性としての自認、二人の娘との生活は、今まで抑圧されていたものが堰を切って流れ出て私のそれまでの生活を押し流してしまったのかもしれません。猫の魂というのがもしあるのであれば、私は柔和な顔をして死んでいったあの去勢されたオス猫からも人生の導きを受けているのだと思います。

迷い道

こんにちは、サクラです。

もうかなり前のことになりますが、自分が女性化したいと気付く前にはいろいろな試行錯誤がありました。自分がゲイ、つまりホモセクシャルなのではと考えたこともありました。

男性であったときの私は異性である女性を愛するヘテロセクシャル「異性愛者」を自認していました。ヘテロはギリシア語のἕτερος「他の」という形容詞に、ホモはὁμός「同じの」に由来します。

20代の半ば勉強と旅行を兼ねて2年ほどイギリスで暮らしたことがあります。ヘテロセクシャルといいながらも私はアイルランドの男性としばらく付き合ったこともあります。完全な成り行きでしたが、彼に聞くと日本人男性はイギリス人の女性くらいの背格好で肌がきれいだというのです。私は身長が168cmなので女性としては日本では大きめですがイギリスでは標準的です。BBCの記事ではイギリス女性の平均身長は164cmとありました。

彼はバイセクシャルだったので、彼の前のガールフレンドやその前のボーイフレンドにも会いました。彼と付き合って初めて男の人に愛されるという経験をしました。そしてそれは自分にとってあまりに自然であまりに心地よかったので自分がヘテロであるという確信が揺らぎました。ただこの時にはもう一つの確信、つまり自分が男性であることについては疑っていなかったので、私は自分がゲイ、つまりホモセクシャルなのかもしれないと考えました。

日本に戻ってからもこの考えに私は取り憑かれて続けていました。発展場といわれるような男性だけの集いの場にいってみましたが、なんだかしっくり来ませんでした。日本のゲイの界隈で出会うマッチョで角刈りでヒゲのあるようなスタイルは自分には合わないことに気づきました。なんとなく日常に飲み込まれているうちに、もとのヘテロセクシャルの男性に引き戻されていきました。

しばらく、いやかなり迷走したあと気づいたのは女性を自認して男性を愛するヘテロセクシャルにもかかわらず体が男性という自分の置かれた状況でした。そしてそのときにはかつて祝福されていたはずの結婚生活は破綻して、幼い二人の娘が私のもとにいました。

二人の娘たちのために、私は迷い道から抜け出して自分の進むべき道に復帰する必要があると感じました。

 

空腹の快感

サクラです。

ダイエットばなしの続きです。

ダイエットの重要性

ホルモン療法、育児、閑職と間食のために「肥満」になった私に転機が訪れました。

契約が終わりそのときの職場をやめることになりました。送別会をやってもらいましたがそこでかなりの深酒をしたのです。私なりにそこの職場に不満もあったのだと思います。夜中まで一緒にいた男性たちは体重もあり酒に強い人達だったのでブレーキが効かなかったのかもしれません。

次の朝は大変なことになっていました。何度か吐いてしまい水も飲めません。横になっていることしかできません。でも他にすることがないのでひたすら寝ていました。

それまでの私は一日三食食べていました。それに間食もしていたので常に胃が満タンな状態です。しかもそれが普通だと思っていました。子育てしていた影響もあったでしょう、子供がお腹をすかせていないか常に気を配っていたものでした。子供が大きくなっても食習慣はそのまま、むしろ他の要因も重なりもっと食べる状態になっていました。

なので横になったまま昼が過ぎ夕方になると「食べなくては」と思いました。でも強いお酒をたくさん飲んだため食欲はわかないし、食べても吐いてしまいそうでした。夜、友人のところに行く約束をしていてお酒も抜けたので車ででかけました。ふと音楽を聞きながら運転している自分の意識が冴えているのに気づきました。胃はすでに空っぽで空腹を感じるものの昨日からの吐き気でなんとなく食欲はないままです。このとき食べてないから意識が冴えているのだと気づきました。消化は多大なエネルギーが必要なので、空腹であれば体はむしろ楽なのです。

子育ての影響で「空腹は悪」という信念があり、空腹を感じると悪魔祓いのように食べていたのでした。どうやら私はおかしな宗教に洗脳されていたのかもしれません。空腹は全然悪いことではないと気づいたのです。むしろ何か食べてしまうとこの冴えた感じが失われてしまうのがもったいない気がしてきました。体調が回復してきて食欲も湧いてきましたが、次に食べたのは翌日の昼食だったので36時間なにも食べなかったことになります。

一日三食の食習慣は40半ばの私には食べ過ぎなのでしょう。そう思って一日一食にしてみました。夜は家族と食事をしたり、仕事上の付き合いで会食することもあったので外せません。なので朝と昼を抜くことになります。

朝食を抜くために「朝食をとらないと一日が始まらない」というドグマと戦いました。ジュースくらいは飲むとしても固形物は食べないようにしました。子供たちはもう大きくなったので自分でパンや目玉焼きを作って食べます。これも子供が小さいうちは難しかったかもしれません。

昼を抜くのは平日は特に簡単でした。閑職にいた私は暇つぶしのために食べていた面もあり、食べ過ぎで胸焼けすると「ああ、これで食べずに済む」などと考えていたほどでした。すでに論理破綻していたようです。

こんなことをしているうちにみるみる体重が減っていきました。空腹を辛いものと感じている間はこんなことはできませんし思いつきもしませんでした。ただ私の体験した空腹の快感は強烈だったのでそれに自然と導かれた結果でした。

伝統的な通過儀礼にはなにかしら生命の危険を伴う要素を含みます。例えばバンジージャンプもそういった通過儀礼の一種で命の危険を伴うものです。私の今回の過剰な飲酒は決して人に勧められるものではありませんが、私にとってはこうした通過儀礼だったのかもしれません。

ダイエットの重要性

サクラです。こんにちは。

ダイエットってなんのことでしょう? 日常的に使う言葉の意味を知らないことって結構あります。日本語のダイエットは「毎日取る食事」「食事療法」の意味があります。英語のdietもほぼ同様ですが、遡ればギリシア語のδιαιτάω「取り扱う」「日々の生活を導く」「規則正しくする」という動詞にたどり着きます。

ダイエットを「増えた体重を特別な食事療法で一時的に減らし、その目的を達したら終了してよいもの」と考えるとそれは言葉本来の意味から逸脱していることになります。むしろダイエットは言葉の意味上は「常に行っている食事」のことなので、もし今体重が増えているのであればそれは太るためのダイエットを行っていることになります。

この一時的な意味でダイエットを捉えている人は以下のような行動パターンを取ります。

  1. 普段行っている「太るためのダイエット」を一時的にやめて「痩せるためのダイエット」を行う
  2. 「痩せるためのダイエット」が順調に進み体重が減ったので再び「太るためのダイエット」に戻す
  3. 「太るためのダイエット」が順調に進み体重が増えたので1に戻る

こうしてみてみると「太るためのダイエット」も「痩せるためのダイエット」もやめて「望む体重になるためのダイエット」をずっと続けるのが一番シンプルに思えます。体重の問題を食事で解決しようとするのであれば「毎日が問題解決の日」であると言えます。でも簡単なことではありません。

私はもともと痩せていたので、そもそもダイエットをあまり意識せずに暮らしていました。ホルモン療法や、禁煙、子育てなどの結果10kgほど一気に太ってしまいました。無意識に行っていた私のダイエットは「太るためのダイエット」だったのでした。

子育てをしている限り1日3食は守らなくてはいけません。しかも子供は食べムラがあるものです。タッパーに保存するほどの量でない残り物はつい食べてしまいます。外食した場合でも同様です。子供は「食べる!」といって注文しても「もうお腹いっぱい!」と残すこともあります。お金を出しているのは自分なのでつい「もったいない」と食べてしまうのです。こうして私の「太るためのダイエット」は築かれていったのでした。

さらに追い打ちをかけたのが仕事でした。そのころの私の仕事は作業にムラがあり極端に忙しい時と極端に暇な時がありました。時には何も仕事がないことが2週間も続くこともありました。でも請負の仕事は時間で評価されるため席に座っていなくてはいけません。なにもしなくてお金がもらえるのは羨ましいと言われますが、実際は苦行だと思います。ここで陥ったのが「食べることでの暇つぶし」でした。薬箱のように私の引き出しにはお菓子が常備されていました。これでさらに5kgくらい増えました。

こうしてBMIも25を超え、人生初めての「肥満」の分類に足を踏み入れました。あまり太ることを意識していなかった私もさすがに考えました。まずいなと。

でも、意外な形で転機が訪れました。次回に続きます。

空腹の快感