初めてのアカスリ

こんにちは、サクラです。

今回は、初めてのアカスリ体験についてお話をします。

お正月に女友達と食事したときに、アカスリの話題が出ました、彼女は時々サウナでアカスリをしてもらっているとのことでした。私はそれまであまり関心がなかったのですが、聞いているうちに興味が湧いてきて行くことにしました。

アカスリは一方では皮膚に良くない行為だと言われていますが、他方では肌のターンオーバー(再生の周期)を促進し美容に効果があると言われています。高年齢になると肌のターンオーバーは遅くなると言われていますが、アカスリで適切に古い角質を除去することによってそれは早められるとされています。

古く固くなった角質は落とすことが難しく、何年も体に残ることになります。足の裏を軽石などで削ることがありますが、それとアカスリは基本的には同じ行為になります。また、背中は自分ではメンテナンスしにくく、体全体の角質のメンテナンスは第三者の手が必要であると言えるでしょう。

アカスリは英語で exfoliationといい、もとは「葉(もしくは外皮)を取り除く」の意味から来ているようです。

早速平日に時間をとり、友人から聞いたサウナに行きました。新宿の北にある韓国式のエステやアカスリサービスありの女性専用サウナでした。入り口で微妙に怪しまれたものの問題なく入れました。入浴料とアカスリ代で税込み7000円弱です。

フロントでアカスリの予約をします。皮膚を柔らかくする必要があるため、施術の開始は少なくとも30分以上後にします。その間にサウナや風呂で体を温めてふやかしておきます。

時間になると黒いブラジャーとショーツ姿の韓国人の年配の女性に番号で呼ばれます。この出で立ちは韓国式アカスリの典型的なスタイルのようです。施術用のビニールのベッドに裸のままうつ伏せになります。特殊な手袋をつけた手で体をこすられるとボロボロと垢が出てきます。彼女はあまり日本語を話せない様子でしたが「アカスリは初めて」というと理解したらしく私の体から出てくる大量の垢を見せてくれました。実際両手に一杯くらいの垢が出たと思います。

仰向けになったり横向きになったり、首元から足先まで一通りこすられます。股間の際どい部分と頭を除きすべてがアカスリの対象となります。30分ほどして水で流されオイルを塗られ終了となりました。オイルを染み込ませるためにそのままサウナに入ります。しばらくのんびりしたあと家に帰りました。滞在時間は4時間弱でした。

私はあまり肌が強い方ではないので、体がヒリヒリしたり炎症を起こしたりしないか心配でしたがそうはなりませんでした。でも明らかに肌に余計なものがないことがわかります。というのも冬の寒さを施術前より感じるようになったからです。無くなって初めてわかったことですが、どうも垢というのは保温の効果もあるようです。

肌の感覚も鋭くなったように感じました。脱皮した虫はこんな感覚になるのかもしれません。喜ばしいことに肌の色が少し明るくなった気がします。お尻の色もオフィスワークでいつも座っているせいか、なんとなく黒ずんでいる気がしていたのですが、ここも少し明るい色になりました。

次のアカスリまでに通常は3週間ほどあける必要があるようです。今回とてもスッキリしたので、次回は様子をみてから行こうと考えています。

垢や角質が数年以上体にとどまるものであるとしたら、今回のアカスリで男性であったときの垢は根こそぎ取られたと思います。

家族の安定

こんにちは、サクラです。

今日は最近の家族のことについてお話します。

小学校や中学校など、子どもの社会において親の話題はしばしばでるものです。我が家の場合、生物学的父親である私が母親の社会的役割を担ってPTAの活動や学校行事に参加していました。このため娘の友人たちに私は母親として知られていました。となると当然「お父さんってなにやってるの?」という質問が娘たちに向けられます。「両親そろっていることが普通の家庭である」という観点から考えれば全く罪のない質問です。

我が家は一人親家庭であり、私が母と言う前提で母子家庭であるというつもりでいましたが、「普通の家庭」による同調圧力のためなのでしょうか、娘たちの返答は異なります。

  • 外国(アメリカなど)で仕事をしている
  • 出張で海外を飛び回っている
  • 外国に行く船の船長さんをしている
  • 死んでしまった

など、父親がいるが不在がちである、または過去にいた前提になっていました。これが2年前までの様子です。

一昨年のSRSを期に、まず私自身に変化が訪れます。これについては今までの記事でお話していた通りです。

SRSをする前の私は男性の外性器を持ちつつ女性として暮していました。いわば嘘のカードを場に出したダウトのプレーヤーのような心境です。性的少数者への理解が進んだこともあり、日常生活でよっぽどのことがなければ他人の性別に対して「ダウト」の宣言をしてくる人はいないでしょう。それでもどこかで嘘を語る意識を持ち続けることは精神衛生上あまりよろしくありません。なのでウィッグを着用したり、化粧をしたり、女性らしい服装をしたりと必要以上に女性的に振る舞おうとしてダウトされるリスクを減らそうとするのは当然の反応でしょう。(それが裏目に出て不自然さを醸し出すこともありえます。)

ところがSRSを行ったあとでは状況が180度変わります。外性器は女性の見た目となりますのでカードは嘘でなくなります。自分の出すカードが要求された数字の通りであれば何も心配はいりません。「ダウトしたいんだったらしてみなさいよ」と強気に出れるのです。最悪の場合、裸にされてもそれでカードが正しいことが証明されるのなら、それはそれで構わない(もちろん避けたいですが)とさえ思います。— カードの手札

現在の娘たちは、特に学校を卒業し同調圧力のない環境にいる上の娘は親密な友人に対して以下のような話をしているようです。ざっとまとめるとこのような筋書きです。

  • はじめにお父さんとお母さんの両方がいた
  • お母さんがいなくなった
  • お父さんがお母さんになった
  • 今はお母さんだけいる

極めてシンプルで、小学生でも理解できる内容です。ただ「お父さんがお母さんになれるか」という問いが山場になります。性別という二分法で「そうはいってるけれど、どちらかといえとやっぱり男でありお父さんではないか」との反論を回避できなければ、この筋書きは成立しません。SRSとその後の私自身の精神的変化によって、この反論に対する反論が可能となったのです。

たしかに生まれは男であり、かつてはお父さんであったかもしれないけれど、現在はその証拠を身体に見つけることはできず、どちらかというと女と言えるため、お母さんと言って差し支えないだろう。

この変化は、私自身がシンプルに自身を語ることが出来るようになったため、それが娘たちにも波及したものと言えます。娘たちも彼女たちの親のことをシンプルに語れるようになり、心理的負担の高い虚構を心に持つ必要がなくなったのです。

人間関係の変化について

こんにちは、サクラです。

今日はSRSの後から変化のあった人間関係についてお話します。

最近の自分にとって大きな変化は二つあります。最初はもちろんSRSで、これによって身体的にも精神的にも女性としての性自認が固定していくことになります。もう一つはウィグをやめたことで、これにより男性として暮らしていた生活の一面と、女性としてのそれとが統合することになります。脱ウィグはSRSによる体の変化のために可能になったことは以前お伝えしました。

ウィグよさらば

 

以前の私は、仕事では男性として暮らし、私生活では女性として暮らしていました。この二つの間でウィグの着脱が存在していたため、両者での断絶は絶対的なものでした。男性のときに会う人や行く店は女性のときに会う人や行く店とは違っていました。クリーニングに行くときにはウィグありの女性として、仕事関係で会う人にはウィグなしの男性として、といった具合です。

実際のところこのような生活はいろいろ面倒です。二つの用事を済ませようとしても、それらが男性として行う用事と女性として行う用事の場合、まとめてできないからです。この場合、一度着替えるか、日を改めたりと工夫していたのです。

この生活は著しく社交力を低下させます。片方の状態で知り合った人と、別のもう片方の状態で会わないようにするとなると、人と知り合うことそれ自体を避けてしまうようになるからです。知り合いを作るために複雑な文脈を抱えるのであれば、知り合いのいない単純な文脈の方が面倒がないのです。

今ではウィグなしで女性として暮らしているので、すべての用事はまとめて行うことができます。女性として会っていた人々にはウィグなしの私に馴れてもらう必要があった一方で、男性として会っていた人々にはより女性化した自分の事情について打ち明ける必要がありました。ただし一度それらの洗礼をすませば、どの人に対しても同じ文脈で付き合えるようになります。もともと人付き合いは苦手ではなかったので、本来の自分の資質を発揮出来るようになりました。

今まで私が見ていた世界は二つに分断され、せわしなくその間を行き来しなければならないものでした。一方で周囲から見える私は、二重にぶれた写真のようにピンぼけで焦点の定まらない掴みどころのない人物だったことでしょう。

人間関係の構築は、私にとっては長らく困難であったことの一つでした。この年末でいろいろな人と会う機会がありますが、去年の年末と比べて人と会う機会が増えたこともこれを端的に示しています。そしてそれぞれの親密さも以前より深いものになっています。

SRSに続く18ヶ月の間に、私とその世界はこのように修復されたのでした。

SRSから18ヶ月経過

こんにちは、サクラです。

ちょっと間が空いてしまいましたが、また経過報告をしたいと思います。

今まで何度か触れたことがありますが、人は自分の身体感覚について履歴を持てないと思っています。つまり「何年前はこんな身体感覚だった」というような過去の身体感覚の記憶を保持したり思い起こすことは一般に困難ではないかと思うのです。

よく「体がついてこない」とか「若い頃のつもりで無理をした」という言われ方がされますが、現在の体の状態に即した身体感覚が更新されていないことから起こるのではないでしょうか。常に体がどういう状況にあるか把握していれば、そのような身体感覚と実際の身体能力のズレというのは起こり得ないのでしょう。とはいえ現代生活のなかではなかなか身体を極限まで使う機会がないものです。

身体感覚が更新されると、それは心のあり方にも影響を与えます。日常生活の中で、心は身体感覚とともにあるため、身体感覚の変化は心の変化を促します。

私について言えば、この18ヶ月の間に徐々に身体感覚が更新されてきたと思われます。外性器の身体感覚について、過去に書かれた自分の記述を見てみましょう。

ところで、脳の活動は高いレベルと低いレベルのものがありますが、普段意識しないような低いレベルで、脳は体の感覚を定期的にスキャンしているようです。術後に全身麻酔からさめてしばらくすると、脳が虚しい作業を繰り返していることに気づきました。脳が股間にあるべきもの、陰茎や睾丸のスキャンに失敗し処理を中断します。しばらくして再度スキャンするのですが失敗する、というのを何度も繰り返しているのです。 — 2018年6月25日 —

SRSの前に先生に、外性器の感覚は麻痺すると言われていましたが、実際そのとおりです。傷に沿って痛覚はあるものの新しく形成された外性器部分の感覚はよくわかりません。おおよそ術後6ヶ月から3年の間に感覚が戻ってくると言われました。つまり私の体のハードウェアの部分が物理的に変更されても、その部分の感覚を適切に脳に伝えるドライバーは無いわけです。 — 2018年6月27日 —

SRS前に股間にあったものが今はない状態なので、ここが身体感覚で一番ギャップを感じるところです。快とか不快とかではなくて、単に慣れていないということです。こぶとり爺さんが鬼にコブを取り去ってもらったときにもこんな感じがしたのかしら、などと考えてしまいます。— 2018年9月11日 —

術後しばらくは陰部の表面の感覚が全くありませんでしたが、今はかなり感覚が戻ってきました。とはいえ以前のように陰茎があるわけではないので、術前とはまったく違う感覚です。今まで女性用ショーツを履くと陰茎のため前部は窮屈に感じていたのですが、今は体にぴったり沿っているので気になりません。というか気にならないということ自体が気になります。とはいえ、これが通常の感覚として日常化すると、徐々にその新奇な印象は無くなっていきます。最近は生まれた頃からこうなっていたのではないかと錯覚することもあります。体の感覚というものは履歴を持たず常に現在に根付いているものと思います。 — 2018年10月14日 —

自分で書いたにもかかわらず、今読み返してみても、そこで書かれた身体感覚を鮮明に思い出すのは困難です。また、外性器の変更による身体感覚の更新について、段々記述が少なくなり、最近は書いていませんでした。気にならなくなって、意識に上らなくなったからでしょう。

外性器の変更後に身体感覚が安定してくると、性自認も安定してきます。性自認の安定は、長くその不安定な状態に置かれていた私にとっては、この上なく心地よいものです。

性自認の問題は、人間の全活動から見ると低次の問題だといえます。問題がなければ意識に上ることもなく暮らしていることでしょう。しかし低次の問題があれば、それにより高次の活動を行うのに支障をきたします。

ダンサーやランナーの足にトゲがささった状態を想像してみてください。足にささるトゲというのは随分気になり本来の活動に集中できなくなるものです。その場合ダンサーなら踊るのをやめ、ランナーなら走るのをやめ、トゲを取ることに専念するでしょう。そしてトゲが取れれば、また踊ったり走ったりするのです。性自認の問題はこのトゲのようなものです。

しかし、私はあまりに長い時間トゲを取ることに専念していたために、自分がそれまで何をやっていたのか忘れてしまっています。あるいはトゲは生まれてからずっと刺さっていたために、今から何かを始めると考えたほうが正しいのかもしれません。いずれにせよ、これからの私は性自認の問題よりずっと高次の問題に取り組むことになるでしょう。

SRS後の体育について

こんにちは、サクラです。

今日は体育の話をします。

体育は「スポーツなどの各種の運動を通じて、心身の健やかな成長をねらうと共に、自己の体のしくみなどを学び育むこと(wikipedia)」とされる教育課程の一つです。小学校から高校までの間に授業として体育の時間が設けられています。大学の一般教養に組み込まれている場合もありますし、幼稚園や保育園で行われる体操やお遊戯もこれに含めて良いと思います。

学校を卒業したあとは、体育の授業を受ける機会は一般にはありません。これは「社会人は、これまで学んだ体育を通し自分の身体の仕組みについて理解し、自分自身で体を健全に保つ管理ができるため、これ以上の教育は不要である」と考えられるためでしょう。そして健全な体を保とうとする人であれば、自主的に何かしら運動であったり、体を動かす余暇を過ごしたりするでしょう。

SRS前の私も機会を見ては登山やハイキングにいったり、ジョギングしたりなどしていました。ある程度自分の体のことがわかっていればそういった計画も立てやすいものです。

しかし、SRSを受けた後、私は「自分のからだの仕組み」について、もう一度学び直す必要があるのではと思いました。シスジェンダーの女性であれば、生まれてから女性として暮らしてきているので、体育も女性視点で学んできています。私はといえば、胸も多少大きくなり、股間の様子も変わり、筋肉の付き方も変化した今、身体が男性であったときに学んだ体育とは別な学びを必要としているのではないかと感じました。

会員制のスポーツクラブへの入会を検討したこともありましたが、結局はやめました。あるスポーツクラブでは、SRS後のトランスジェンダーMtFの方が、その戸籍が男性だという理由で男性更衣室を使うよう強要され、裁判となったことを知っていたからです。裁判で和解したとのことですが、嫌な思いをするかもしれない施設を、わざわざ好き好んで利用したくはありません。スポーツクラブのスタッフへの伝達文書に以下のようなメモがあったと聞き、正直震え上がりました。

〇〇様について

女性の姿で来館されますが「男性」ですので、ロッカーキーは必ず「青」を渡してください。

一方で公共の施設は公共であるという存在理由から、そういう取りこぼしを拾う懐の深さがあると思います。幸いなことに近所の公共のスポーツセンターで一般公開の教室のあることを知りました。

こうして週末の夕方のダンスの教室にさっそく通い始めました。そもそもダンスやバレエなど舞踊全般について私はちゃんとやったことがありませんので、完全な初心者です。それでも公共のスポーツ施設だと出入りも多く比較的入りやすく気楽に始めることができました。

2ヶ月ほど通うようになると、いろいろなことに気づきます。ダンスというのは言葉で言う語彙というのかイディオムのようなものがあって、それを適宜組み合わせて振りを組み立てていくようです。私はそれぞれのイディオムを知らなかったので、最初のうちは大変です。しかしながら、ちょっとだけでもわかってくると、とても楽しいものです。

多分男性のままであったら、ダンスを学ぶなんて思いつきもしなかったでしょう。良い機会を得ました。