サクラです。
ダイエットばなしの続きです。
ホルモン療法、育児、閑職と間食のために「肥満」になった私に転機が訪れました。
契約が終わりそのときの職場をやめることになりました。送別会をやってもらいましたがそこでかなりの深酒をしたのです。私なりにそこの職場に不満もあったのだと思います。夜中まで一緒にいた男性たちは体重もあり酒に強い人達だったのでブレーキが効かなかったのかもしれません。
次の朝は大変なことになっていました。何度か吐いてしまい水も飲めません。横になっていることしかできません。でも他にすることがないのでひたすら寝ていました。
それまでの私は一日三食食べていました。それに間食もしていたので常に胃が満タンな状態です。しかもそれが普通だと思っていました。子育てしていた影響もあったでしょう、子供がお腹をすかせていないか常に気を配っていたものでした。子供が大きくなっても食習慣はそのまま、むしろ他の要因も重なりもっと食べる状態になっていました。
なので横になったまま昼が過ぎ夕方になると「食べなくては」と思いました。でも強いお酒をたくさん飲んだため食欲はわかないし、食べても吐いてしまいそうでした。夜、友人のところに行く約束をしていてお酒も抜けたので車ででかけました。ふと音楽を聞きながら運転している自分の意識が冴えているのに気づきました。胃はすでに空っぽで空腹を感じるものの昨日からの吐き気でなんとなく食欲はないままです。このとき食べてないから意識が冴えているのだと気づきました。消化は多大なエネルギーが必要なので、空腹であれば体はむしろ楽なのです。
子育ての影響で「空腹は悪」という信念があり、空腹を感じると悪魔祓いのように食べていたのでした。どうやら私はおかしな宗教に洗脳されていたのかもしれません。空腹は全然悪いことではないと気づいたのです。むしろ何か食べてしまうとこの冴えた感じが失われてしまうのがもったいない気がしてきました。体調が回復してきて食欲も湧いてきましたが、次に食べたのは翌日の昼食だったので36時間なにも食べなかったことになります。
一日三食の食習慣は40半ばの私には食べ過ぎなのでしょう。そう思って一日一食にしてみました。夜は家族と食事をしたり、仕事上の付き合いで会食することもあったので外せません。なので朝と昼を抜くことになります。
朝食を抜くために「朝食をとらないと一日が始まらない」というドグマと戦いました。ジュースくらいは飲むとしても固形物は食べないようにしました。子供たちはもう大きくなったので自分でパンや目玉焼きを作って食べます。これも子供が小さいうちは難しかったかもしれません。
昼を抜くのは平日は特に簡単でした。閑職にいた私は暇つぶしのために食べていた面もあり、食べ過ぎで胸焼けすると「ああ、これで食べずに済む」などと考えていたほどでした。すでに論理破綻していたようです。
こんなことをしているうちにみるみる体重が減っていきました。空腹を辛いものと感じている間はこんなことはできませんし思いつきもしませんでした。ただ私の体験した空腹の快感は強烈だったのでそれに自然と導かれた結果でした。
伝統的な通過儀礼にはなにかしら生命の危険を伴う要素を含みます。例えばバンジージャンプもそういった通過儀礼の一種で命の危険を伴うものです。私の今回の過剰な飲酒は決して人に勧められるものではありませんが、私にとってはこうした通過儀礼だったのかもしれません。