SRSから18ヶ月経過

こんにちは、サクラです。

ちょっと間が空いてしまいましたが、また経過報告をしたいと思います。

今まで何度か触れたことがありますが、人は自分の身体感覚について履歴を持てないと思っています。つまり「何年前はこんな身体感覚だった」というような過去の身体感覚の記憶を保持したり思い起こすことは一般に困難ではないかと思うのです。

よく「体がついてこない」とか「若い頃のつもりで無理をした」という言われ方がされますが、現在の体の状態に即した身体感覚が更新されていないことから起こるのではないでしょうか。常に体がどういう状況にあるか把握していれば、そのような身体感覚と実際の身体能力のズレというのは起こり得ないのでしょう。とはいえ現代生活のなかではなかなか身体を極限まで使う機会がないものです。

身体感覚が更新されると、それは心のあり方にも影響を与えます。日常生活の中で、心は身体感覚とともにあるため、身体感覚の変化は心の変化を促します。

私について言えば、この18ヶ月の間に徐々に身体感覚が更新されてきたと思われます。外性器の身体感覚について、過去に書かれた自分の記述を見てみましょう。

ところで、脳の活動は高いレベルと低いレベルのものがありますが、普段意識しないような低いレベルで、脳は体の感覚を定期的にスキャンしているようです。術後に全身麻酔からさめてしばらくすると、脳が虚しい作業を繰り返していることに気づきました。脳が股間にあるべきもの、陰茎や睾丸のスキャンに失敗し処理を中断します。しばらくして再度スキャンするのですが失敗する、というのを何度も繰り返しているのです。 — 2018年6月25日 —

SRSの前に先生に、外性器の感覚は麻痺すると言われていましたが、実際そのとおりです。傷に沿って痛覚はあるものの新しく形成された外性器部分の感覚はよくわかりません。おおよそ術後6ヶ月から3年の間に感覚が戻ってくると言われました。つまり私の体のハードウェアの部分が物理的に変更されても、その部分の感覚を適切に脳に伝えるドライバーは無いわけです。 — 2018年6月27日 —

SRS前に股間にあったものが今はない状態なので、ここが身体感覚で一番ギャップを感じるところです。快とか不快とかではなくて、単に慣れていないということです。こぶとり爺さんが鬼にコブを取り去ってもらったときにもこんな感じがしたのかしら、などと考えてしまいます。— 2018年9月11日 —

術後しばらくは陰部の表面の感覚が全くありませんでしたが、今はかなり感覚が戻ってきました。とはいえ以前のように陰茎があるわけではないので、術前とはまったく違う感覚です。今まで女性用ショーツを履くと陰茎のため前部は窮屈に感じていたのですが、今は体にぴったり沿っているので気になりません。というか気にならないということ自体が気になります。とはいえ、これが通常の感覚として日常化すると、徐々にその新奇な印象は無くなっていきます。最近は生まれた頃からこうなっていたのではないかと錯覚することもあります。体の感覚というものは履歴を持たず常に現在に根付いているものと思います。 — 2018年10月14日 —

自分で書いたにもかかわらず、今読み返してみても、そこで書かれた身体感覚を鮮明に思い出すのは困難です。また、外性器の変更による身体感覚の更新について、段々記述が少なくなり、最近は書いていませんでした。気にならなくなって、意識に上らなくなったからでしょう。

外性器の変更後に身体感覚が安定してくると、性自認も安定してきます。性自認の安定は、長くその不安定な状態に置かれていた私にとっては、この上なく心地よいものです。

性自認の問題は、人間の全活動から見ると低次の問題だといえます。問題がなければ意識に上ることもなく暮らしていることでしょう。しかし低次の問題があれば、それにより高次の活動を行うのに支障をきたします。

ダンサーやランナーの足にトゲがささった状態を想像してみてください。足にささるトゲというのは随分気になり本来の活動に集中できなくなるものです。その場合ダンサーなら踊るのをやめ、ランナーなら走るのをやめ、トゲを取ることに専念するでしょう。そしてトゲが取れれば、また踊ったり走ったりするのです。性自認の問題はこのトゲのようなものです。

しかし、私はあまりに長い時間トゲを取ることに専念していたために、自分がそれまで何をやっていたのか忘れてしまっています。あるいはトゲは生まれてからずっと刺さっていたために、今から何かを始めると考えたほうが正しいのかもしれません。いずれにせよ、これからの私は性自認の問題よりずっと高次の問題に取り組むことになるでしょう。

「SRSから18ヶ月経過」への2件の返信

  1. わたしの場合は、脳が「これまでついていたものが依然そこにあることを前提にスキャンを続け、スキャンに失敗することを続けて学ぶ」というようなことはありませんでした。術後すみやかに「なくてあたりまえ」になりました。それより、術後数か月は「小さいころからこのような排尿のしかたをしたいと思っていた」とおりに排尿できることが、ワクワク、ウズウズするような楽しさ(性欲の満足に近い)を伴っていたのに、慣れるにつれてその「感動」がなくなってきたことが、変化といえば変化ですね。

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  2. あけみさん

    コメントありがとうございます。

    排尿については、以前男性器のままで女子トイレに入っていたとき、不満というか罪悪感というか劣等感のようなものを常に抱いていました。「みにくいアヒルの子」のような気持ちでしょうか。

    術後にそのような気持ちを抱くことなく用を足せるのに心地よさを感じました。それは感動とは言えないかもしれませんが、今でも同じような心地よさは感じています。

三土 明笑 へ返信する コメントをキャンセル

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