SRSから5ヶ月経過

こんにちは、サクラです。

SRSから5ヶ月経過しました。そろそろ「もはや術後ではない」と言えそうな気がしています。

身体感覚についてですが、以前の陰茎があったときの感覚は忘れてしまって、まったく思い出せません。まるで生まれたときから今のままだった気になっています。

中国の歴史書はその書かれた時代より以前の歴史を書き直すように編纂されました。後の時代の人は前の時代の人や出来事をいわば自分の都合の良いように解釈しますが、私も今の身体感覚と性自認で自分の過去を捉え直しています。

男の子だった当時の自分は自然と女の子で置き換えられます。服装が男の子だとしても男装した女の子として都合よく解釈されます。すると同性だったはずの男友達は異性として、異性だったはずの女の子たちは同性として焼き直されます。陰茎にまつわる出来事は曖昧にぼかされます。

第二次性徴前の記憶はこのように比較的置き換えやすいのですが、それ以降の成熟した男性としての行動の置き換えは難しいものがあります。自分が男性だと信じて女性と交際していたことは、今の視点からみると女性同士の同性愛になります。実際に当時つきあった女性のことを思い出しても、その頃抱いていたであろう恋心を今の自分の中に再現するのはとても難しいです。とはいえその女性たちは好ましい人物であって、今知りあったとしたら友人としての関係を持てるかもしれません。

一方で当時友人であった男性も今から思うと魅力的ですし、同性愛として交際したはずの男性も今の視点でみると異性愛になります。こちらは面白いことに恋心を今でも再現しやすいです。

女性が女性として生きているのは実際のところ、現在の自分が女性であるだけでなく、過去にも自分が女性であったことを認識しているからです。であれば、私のように性を越境してきた者も新しい性で暮らすために歴史を編み直す必要があるでしょう。これは現在の自分が女性だという自認と同じかそれ以上に重要なことかもしれません。

あるときふと心の中で目覚めた性自認は自分の心を育て、体を徐々に変化させ、社会と関係を持ち、過去にも広がりを持つようになっていきました。SRSというのは単に体の変更だけでなく、世界を変化させるための力、これは自分がもともと持っていたものなのでしょうが、この力を解放する働きがあったと私は思います。

「覆水盆に返らず」ということわざは一般的には否定的な意味を持ちますが、今の私はこれの肯定的なバージョンであるといえます。

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