こんにちはサクラです。
今日は父親による授乳の可能性について、お話します。
授乳は通常母親によって行われます。母体においては妊娠時のホルモンのバランスから乳汁が作られるようになりますが、その仕組みは完全には解明されていないようです。
父親が自分の乳汁により授乳できるかどうかを考えるとき、前提なしにそれが困難であることはわかります。母親でさえ体調や体質によって十分に授乳することが困難な場合があるのですから、通常ありえないとされている男性の乳汁生成はずっと困難なはずです。
ちょっと古い記事になりますが、およそ40年前の1980年2月21日の朝日新聞に父親の授乳についての記事がありましたのでここに転記します。現代の感覚からは語用に違和感があるとは思いますが訂正はしません。
父のチチで赤ちゃんが育つ
【ニューヨーク二十日=AP】父親のお乳を吸って育った六歳の女の子が標準より大きく育っていると、アメリカのレオ・ウォルマン博士が明らかにした。精神医学にくわしい産婦人科医である同博士は「父親がお乳を出してわが子を育てたのはこれが最初で唯一だろう」と述べている。
この父親はニューヨークに住む四十歳のホモ男性。バストを大きくするために、博士から十二年間女性ホルモンの注射を受けていた。結婚したとき、夫人はそのことを知っていたが、夫婦は子どもを産もうと決心し、博士は夫の性的能力をつけるために、男性ホルモン注射に切り替えた。
念願かなって、妻が妊娠、夫は妻を助けるとともに、自分も精神的な満足を得たいと、博士に「乳が出るようにして」と申し出た。
博士は患者の強い希望に負けて、乳腺を刺激する下垂体ホルモンを与えることにした。その結果、お乳が出るようになり、赤ちゃんがお乳を吸うと、普通の母親と同じようにお乳の出がよくなった。
博士の分析では、父親のお乳は、母親のものに比べると組成が少し異なるが、栄養に富み、安全なもので、臨床的にも十分、”母乳”の役目を果たしたという。この赤ちゃんは立派に育ち、標準より大きく育っている。
加藤順三帝京大学助教授(産婦人科)の話 内分泌的な知識を持った専門医がホルモンの働きをコントロールすれば、理論的には可能だろう。しかし、いずれにしろ、正常な感覚ではない。
荒唐無稽な記事なので、どこから指摘すればいいか、いろいろ迷うところですし、真偽も確かめられない以上あえて指摘したり検証しようとしないほうがよい気がしています。
しかし一つ確実なのは、「父のチチで赤ちゃんが育つ」というタイトルの持つ文彩にこの朝日新聞記者は満足していたことでしょう。
授乳した父親は、トランスジェンダー(女性ホルモンの注射を長期間受けていたことから)なのか、シスジェンダーのゲイ(「ホモ男性」からの類推)なのか、バイセクシャル(ホモといいながら女性と結婚することから)なのか、記事からは読み取れません。当時の報道はこの程度の曖昧さを許容していたのですから、現在から見ると随分おおらかな、悪く言うと雑だったと言えます。もしかしたらこの記事は報道の間に挟み込まれた一種のエンターテイメントだったのかもしれません。
このレオ・ウォルマン博士 Dr Leo Wollmanについては、現在故人であること、かつてニューヨーク市の医師であったこと、トランスセクシュアリズムの権威ハリー・ベンジャミンの著書に協力したこと、”Let Me Die a Woman”という名のトランスセクシュアルについての擬似的ドキュメンタリー映画に出演していること以外、あまり詳しいことがわかりません。
現在の日本では、この博士のような対応は無理なことでしょう。ホルモン注射による父親の授乳可能化を許容する母親も通常はいないと思います。
これ以上指摘するのはやめておきます。
一般に父親による授乳の必要性について社会では語られていません、と書こうとしたところ、以下の動画で紹介されているような商品が開発されていることがわかりました。男性の上体前面に装着する女性の胸の形のような哺乳器です。
新聞記事の最後でコメントしていた加藤助教授のいう「正常な感覚」での落とし所はこんなところだと思います。同時に、このような機器を使用して父親が母親の役割を担おうとする姿は感動を覚えさえします。
方法論が異なるとしても、以下の点において、この商品を利用する父親と新聞記事の父親は共通していることだけは言及しておきます。
- 夫として妻を助けたい
- 父親として子育てをしているという精神的な満足を得たい
- 自分の胸から乳が出るようになりたい
もしかしたら、父親が母親の役割を意識するための装置として、このような疑似母親化が進行し、ある種の儀式として成立していくかもしれません。第一子の生まれる知り合いがいたら、私もこのような贈り物を検討することにしましょう。
さて、性転換が生殖可能なままで行われるのであれば、私はずっと幼少のころに、それを希望し実行していたと思います。父親ではなく母親として子育てができたらこれに優る喜びはなかったでしょう。私の女性化がここまで後ろ倒しとなったのは、性移行は生殖を不可能にするものであり、生物学的な実子を得る機会を永遠に失ってしまうことを知っていたからです。
私は、自分が親になる願望を満たした後、性の違和感の解決に着手しました。というのも、同時に満たすことができないこれら二つの課題は、この順序に従えば解決できたからです。ただし、これはあくまで結果論で、当時の私はひたすら暗中模索でした。
自分の乳房で作られた乳汁によって子供に授乳する機会に私は恵まれませんでした。それは残念なことではありますが、それを叶えようとすると、大事な他の望みを諦めなくてはならないような難しい望みだと思います。